味園ユニバース感想

茂雄とポチ男

襲われて、お金を盗られても気にせず、それでもピストルだけには手を伸ばして探した。出所して、あるいは入所中から子どものことばかり考えていた?

 茂雄は薄暗く悪い目をしているけど記憶をなくしてポチ男になってからはどこか晴れやかな表情で、その目は輝いてすら見える。後にカスミが言うように「選んできたものすべて間違い」だった茂雄が、その間違いだらけだった過去がないことで、ポチ男として生まれ変わったことで広がった希望や生まれた可能性が感じられた。声も、茂雄は低くポチ男は高い。

 鏡の前で「知らない顔」を見て「だれ?」というポチ男としての最初のひとことには素直な疑問が、ふたことめの「・・・誰や?」には怯えがみえる。 

公園で寝てる時には血まみれのTシャツはすでに洗ったあとがある。記憶をなくして子どものようになったポチ男にも多少は生活能力は残っている?

 

カスミとの出会い

 公園での赤犬のライブ。この時のポチ男は音楽に導かれた、というよりは音がするから近付いた?でもそのあとマイク奪って「古い日記」・・・音楽の刺激が記憶を呼び戻す鍵?

 カスミの周りは男ばかり。赤犬、おじい、女はマキちゃんのみ。男の集まりの中にいるから「男女」をにおわされると嫌悪を感じる?常連客の「(ポチ男に対して)コレか?」にも「しょーもな」

 警察に取り押さえられる人を見て何かを思い出しかける。逮捕された時の茂雄だった自分?「わからんねん」とカスミの肩を掴むときの加減のなさは「茂雄」のせい?「子ども」のポチ男の無邪気な暴力性?

 「絵ヘタやなぁ」と言われて、ポチ男に掴まれてあざができた左肩にグーパンチ。仕返し?

 

はじめてのライブ

鼻歌について初めて聞いたかと聞かれたときの「そうやったかなぁ」はうそついてる?

 初めてのライブでは歌っているのに生気がない。歌わされてる?ライブでは緊張してる?乗せられた神輿に緊張する、人間らしさが出てきた。

 いざ古い日記を歌おうとするとお父さんの声で再生され始めた。カセットテープの存在も見えた。カセットテープが止まってお父さんの声もやんで、涙目。思い出しかけたポチ男にカスミも気付いた?

 

記憶と世界のゆくえ

自分が気になった物を集めることで自分と関わりのあるものを探し、記憶の補填をしようとする?ポチ男に他人であるカスミからブルースハープをポチ男の物として渡す。記憶を取り戻しかけたポチ男に気付いたカスミによる記憶の書き換え?

 カスミの世界「おじい、スタジオ、マキちゃん、赤犬

この話にポチ男は集中できていない?カスミの指に集中している?

 「ありがとう バンドやらせてくれて」

 「指長いなぁ」はポチ男的には見たまんまを言っただけの深い意味のない感想。だけどポチ男を自分の世界のひとつである赤犬の穴を埋める存在、歌としての存在でしか見ていない、他のなにもかもがむだで、意味がなくて、邪魔だとすら思えてしまうカスミにとっては、ポチ男のその指摘にぞっとするような「男」という性別を、初めてポチ男に「男」を感じてしまい、いらんことするな、アホらしい、という自分への戒めも込めてのあの反応?

 ポチ男ノートで整理。記憶が戻ったら・・・ここから意図的に思い出させないようにし始める?赤犬のために、赤犬という自分の世界のために。

 ポチ男の世界「この曲(古い日記/ポチ男はタイトルまでは思い出していない?)」
カスミの世界の話、やっぱり聞いてた。

なくしたほうの記憶にも価値がある、と言わない。それをあえて追いかけようとはしない。必要な記憶じゃない、まっさらな、歌しかないポチ男になるために、記憶がなくなることこそ必要だった。だからカスミや赤犬との物語がいっそう愛おしく、のめりこめる。

 

本当の記憶

 ポチ男がすべてを思い出す前に、思い出させないために?急遽ワンマンライブを入れた?「過去がないなら未来を作ればええだけの話」これはポチ男の未来のためでなくカスミ自身の世界のため?カスミのいうポチ男の2本目は?ワンマンライブ?赤犬?歌?

 受け取った、「茂雄」のものであるカセットテープをカスミ自身はポチ男に渡す気がなかった?「工場はつぶれてた」など、記憶を途絶えさせるような嘘をつく。ポチ男が茂雄にふれる機会を断ちたかった?「それでもうちはあんたの歌が必要や」は「ポチ男が追い求める記憶への道を断ってでも自分の世界にはポチ男の歌が必要」?

 クズだった茂雄の記憶への反応は逃走やからだの不調にあらわれる
歌が好きだった記憶は求めてしまう、探してしまう、思い出したい

カスミが ポチ男に優しくされてむっとしたり複雑そうな顔をするのはそういうポチ男を求めていないから?

 

茂雄とカスミ

 お父さんの「古い日記」をポチ男の耳に入れるにはそれを「わからずに」「偶然のように」再生し始めてしまう「あの」おじいが必要だった。

 「おとうちゃんの言う通りやな」「おまえはどないしたんや」は本当におじいの言葉?

 ショウの言う「戻ってる」は記憶のことでなく「茂雄」の目の色をみてのこと。

 「そんな金にならんもんやっても意味ない」

「意味がなくても、見たいだけ」すがりかけて突き放す「こっからはあんたが決めろ」

 

ココロオドレバ

アンコールのココロオドレバはフィクションじゃないように見えた。渋谷すばるに見えてしまった。

最後のカスミの、それまでのどれとも違う、おかしさを噛み殺すような「しょーもな」には「クズがいっちょまえに、きもちよさそーに歌て」といううれしげなあきれも見えるし、むりやり伏線を回収するなら「影武者が前出てどうすんねん」と、この状況を楽しんでいるようにも聞こえる。そしてそれを知ってか知らずか、うかがうようにはにかむ笑顔を見せる茂雄。何も解決していなければ、何も「いい」ことだってない。それでもいい。それがいい。後にも先にも進めない閉ざされた世界の中で、ふたりぶんのココロが踊るなら、それはちっとも「しょうもない」ことなんかじゃない。

 

DVD発売後追記(8/18)

初めはポチ男を歌わせることやポチ男の歌を聞くことにわくわくして、ただ楽しんでいたカスミ。ポチ男の歌を聞くたび、カスミの世界の4本目、赤犬の足らないところを埋めるためだったポチ男の歌に穴埋め役だけには留められない魅力を感じるようになっている?ポチ男がカスミの5本目の「世界」になりつつある。

古い日記がポチ男の記憶を呼び戻す引き金になることに気付いたあとはそれまでは楽しげに、どこかうれしそうにポチ男の歌を聞いていたカスミが「電気代もバカにならん」と理由を付けて「ポチ男が古い日記を歌うこと」をやめさせようとする。「歌うこと」はかまわない。歌は聞きたい。歌ってほしい。だけど「古い日記」はダメ。思い出しちゃダメ。その後決まったワンマンライブの構成にきっと古い日記は入れてもらえない。気付いてしまったらくずれそうなあやういバランスが均衡を保つための根回しや嘘に、カスミの意外なもろさが見えて切なくなる。

「ヨコヒナ」という呪い

今じゃもう大して興味がないのでは?慣れてしまってないがしろになってしまっているのでは?そう思うことがある。今までがそうだったから、そういう扱いの番組もあるから、そういう関係として成り立っていて、それをお互いに理解し合っているから、何も言われないから、だからそうするという、そうされた結果に、以前であればここまで突っかかったり、受け入れられないということはなかった。今の、なにもかもに通じかねない拒絶感や排他的な感情は、村上さんへの当たりの強弱によって変わるものではないことにはうすうす気付いていた。これはゆるせる、これはゆるせない、でなく一切の関わりや言動を不愉快だと感じ、いらだちを覚えるのは、そもそもの変化が受け入れられないせいなのだと思う。グループを遠ざけて、よごれることから逃げて、きれいなものに手を伸ばして。演じることをやめて、がんばっていることを、見てもらいたいきれいな部分をあらわにし始めたこと。これまでの自分をなかったことにしてしまいそうな、今のためにあれもこれも帳消し、とでも言わんばかりの「これまでの後悔」の回収。

 

村上さんのことを天才だと思ったことはないし、天才であってほしいと思ったこともないから、それがうらやましいというわけではない。それなのに、ちやほやされているといらいらしてしまうのは、がんばりを見せられる機会を作ってもらえているから、というのもある。それはうらやましいし、くやしい。第三者の目に触れるようになってからがんばり始めたものは、注目もされるし応援もされる。今になってようやく人並みにがんばり始めたようなことを、ここにきて大々的に見せる機会があったというだけで歓声が上がるのは、個人的にはおもしろくない。がんばっているところを見せられるというのも才能だとは思うけど、その裏で、そうじゃない人のがんばりが当たり前のものとして風化しているのは、そうじゃない人、を好きなわたしとしては、くやしい。言葉にしなきゃがんばってられない、見せ場がなくちゃやってられない、なんて甘い。「美しい」ってなんだろうね、と思ったり。

 

誰より強力な影響力を持っていて、それを行使しておいて、変わることを許さないでいて、自分はいいように変わっちゃうんだからずるい。まったくいい意味でなく、心底忌み嫌った意味で、ずるい。戯れに呪いをかけたまま、その呪いを解くことに興味はなく、その鍵をどこかへ捨てられてしまったよう。これからもずっと高みの見物で、思いついたことを片っ端からやらされるのだとしたらぞっとする。自分が参加する気も、それなりの対価を請け負う気もないくせに。かっこわるいことから逃げておいて、でも「誰かには」やってもらわないと、なんて。策にしか興味のない策士なんて、愛がない。そんなことを言いたくなる。今までだって、愛なんかじゃなかったというのに。

 

今までなら、こんなことは思わなかった。仲の良い友達じゃなくてもよかった。プライベートのことを知っているとか、個人仕事への興味のあるなしとか、好きとか嫌いとか。そんなことはどうでもよかった。ヨコヒナであればよかった。仕事をしているお互いにしか興味がないならそれでいい。興味があるふりをして、あれこれ気になる「ふり」をするも「仕事」のひとつであるなら、それでよかった。ヨコヒナがヨコヒナであるなら、そういう仕事と関係を続けてくれるなら、なんでもよかった。本当は全然対等じゃないのもわかってた。横ちゃんが待っててくれたわけじゃないけど、それでも「ヨコヒナ」は対等だった。それが演技でもポーズでも、うそでも足踏みでも、なんでもよかった。横ちゃんと村上さんにヨコヒナという繋がりがあるならそれでよかった。本当に、それだけでよかったのに。

 

もう「ヨコヒナ」はいない。隠れているのか、死んでしまったのか。どちらにせよ、もういない。逃げてしまったのかもしれないし、いらなくなってしまったのかもしれない。変化の結果として、入る隙がなくなって、邪魔者になってしまったのかもしれない。今までふたりで背負っていた罪を置いて、ヨコヒナは横山裕村上信五になってしまった。共同戦線も消えた。罪と言ったが、もうそんなものだってとっくになくなっていたのかもしれない。あたりかまわず噛み付く必要も、戦う敵もいない。それでもそれなら仕方ない、とは言えない。お互いの首を締め合って、苦しめ合って、傷だらけになりながらグループを守って、その役目をふたりで担い続けてほしかった。みんながみんな弱くないのも、それぞれが今はもう頼りになることもわかってる。だけどその矜持はヨコヒナのものであってほしかった。その役割に依存して、ヨコヒナとして、たしかに繋がっていてほしかった。

 

ヨコヒナはもういない。消えてしまったし、追いかけなかった。わたしにはそれがさみしくて、歯がゆかった。ヨコヒナじゃないのに。もう「ヨコヒナ」をする気もないくせに・・・なにかにつけてそう思ってしまって、なにもかもがヨコヒナの喪失につながっているような気がして、そのうちふたりにまつわることは、ほとんどのことが受け入れられなくなってしまった。

 

もう戻ってこないなら、帰ってくる予定がないなら、どうにかして納得しないとなぁと思っているところです。いやぁ、まいったなぁ。もう。

4月からのお仕事

これまでの関ジャニ∞(全国)

日曜日
トーキョーライブ(テレ東/安田・週替わり)
関ジャニ通信ABCラジオ/村上)
村マヨ(関テレ/村上)

月曜日
月曜から夜ふかし(日テレ/村上)

火曜日
ありえへん世界(テレ東/村上丸山安田)
明日はどっちだ(NHK/横山渋谷村上)

水曜日
ジャニ勉(関テレ/関ジャニ∞

木曜日
ヒルナンデス(日テレ/横山村上)
レコメン(文化放送/村上丸山)

金曜日
なし

土曜日
仕分け(テレ朝/関ジャニ∞
ラジオ好っきゃねん(ニッポン放送/大倉)
スバラジ(NACK5/渋谷)

 

これまでの関ジャニ∞(地元)

日曜日
トーキョーライブ(テレ東/安田・週替わり)
関ジャニ通信ABCラジオ/村上)

月曜日
月曜から夜ふかし(日テレ/村上)

火曜日
ありえへん世界(テレ東/村上丸山安田)
明日はどっちだ(NHK/横山渋谷村上)

水曜日
ラジオ好っきゃねん(RSKラジオ/大倉)

木曜日
ヒルナンデス(日テレ/横山村上)
レコメン(文化放送/村上丸山)

金曜日
村マヨ(OHK/村上)

土曜日
仕分け(テレ朝/関ジャニ∞
ジャニ勉(OHK関ジャニ∞

 

これからの関ジャニ∞

日曜日
トーキョーライブ(テレ東/安田・週替わり)
関ジャニ通信ABCラジオ/村上)
村マヨ(関テレ/村上)
★関ジャム(テレ朝/関ジャニ∞・4月~)

月曜日
月曜から夜ふかし(日テレ/村上)

火曜日
ありえへん世界(テレ東/村上丸山安田)

水曜日
ジャニ勉(関テレ/関ジャニ∞
★スポーツの神様たち(フジ/村上・4/15~)

木曜日
ヒルナンデス(日テレ/横山村上)
レコメン(文化放送/村上丸山)

金曜日
★村マヨ(フジ/村上・4月~)

土曜日
★サタデープラス(TBS/丸山・4/4~)
関ジャニ∞クロニクル(フジ/関ジャニ∞・5/16~)
★ドS刑事(日テレ/大倉・4/11~)
★ANNサタデースペシャル大倉くんと高橋くん(ニッポン放送/大倉・4/4~)
スバラジ(NACK5/渋谷)

 

これまでのだいたいの収録日

日曜日
トーキョーライブ(安田/生放送・週替わり)

月曜日
夜ふかし(村上)

火曜日
ジャニ勉(関ジャニ∞/大阪)
仕分け(関ジャニ∞

水曜日
ありえへん(村上丸山安田)

木曜日
ヒルナンデス(横山村上/生放送・ロケがあれば放送終了後)
村マヨ(村上)
レコメン(村上丸山/生放送)

金曜日
どっちだ(横山渋谷村上)

不定または不明
通信、ラジオ好っきゃねん、スバラジ

 

新番組追加後

日曜日
トーキョーライブ(安田/生放送・週替わり)

月曜日
夜ふかし(村上)

火曜日
ジャニ勉(関ジャニ∞/大阪)

水曜日
ありえへん(村上丸山安田)

木曜日
ヒルナンデス(横山村上/生放送・ロケがあれば放送終了後)
村マヨ(村上)
レコメン(村上丸山/生放送)

金曜日

土曜日
サタデープラス(丸山)
ANNサタデープラス大倉くんと高橋くん(大倉)

不定
通信、スバラジ

不明
関ジャム、スポーツの神様たち、関ジャニ∞クロニクル

 

村上さんのレギュラー番組全曜日制覇、すごいなぁとは思ったものの何がどうなってていつ放送されるのかとかこれから放送開始予定の番組などが自分の中でまったく整理できていなかったので並べてみました。そこでようやく全曜日制覇の基準が関東圏の枠を埋められるかどうかということだったことがわかって、地方在住のわたしは疎外感でちょっとさみしい気持ちにもなったのですが・・・それはまぁおいといて。

 

この、全曜日制覇の要となった村マヨの関東圏での放送開始が金曜日に設定されたのが果たして偶然か意図的なものかはわかりませんが、意図的なものだとして、それを意図して操作してもらえるというのは、これはもう村上さんの関わるテレビの世界には敵もたくさんいるけれど、その反面、心強い味方も多いなぁと。それはとってもすごいこと。民放の大きなテレビ局がいちアイドルのレギュラー番組全曜日制覇の栄誉に貢献しようとしてくれるなんて、そうであったなら、それはもう疎外感がどうとか、さみしいとかは言ってられないことなのです。後ろ盾の大きさ、その盾を引き寄せた村上さんのこれまでの努力は、かけがえのない財産です。すごい!素晴らしい!自担がただひたすらにすごいひとすぎるので、もはや距離を嘆くなんて考えには及ばない。自担がすごくて誇らしくて、これがこの世の春か、という無上の喜びと幸せを噛み締めているところです。

 

全曜日制覇と聞いて、わたしも例に違わず村上さんの健康のこととかサッカーしたりダイビングしたりする自分の時間は持てるのかなぁとか、そういう杞憂をしてしまったのですが、拘束時間の長かった仕分けがなくなり各地へのロケもあるどっちだも終わるので、プラマイゼロとはいわないけど、思ったよりも厳しくはないのかな、と・・・思うようにしてはいます。結局は全曜日といっても村マヨの放送地域拡大は「全曜日制覇」と言いたいだけのもので、また関東圏で開始されるから目立つのであって、取り上げてまで言うことではないかな、とも思うし・・・これは地方民のひがみですね。でも、間違いなく村上さんはすごいです。かっこいいです。なにがかっこいいって、なにもかも全部知らないうちにやっちゃってるところ。なにも言わないところ。しんどそうにも悩んでる風にも今は後ろ向きだけどこれからは前を向きたい、という思わせぶりな態度でなく、まっすぐに自分のやり方をまっとうするところ。 興味があるから、好きだから、という後押しがなくても、なんでも一生懸命がんばれるところ。すごい!かっこいい!好きです!むちゃくちゃ好きです!おめでとう!お疲れさま!好きな人が夢みたいなことを叶えてくれるこの日々のなんと幸福にあふれたことか!ありがとう!村上さん!いつも本当にありがとう!

あんたの「どれい」のままでいい

関ジャニ∞のファンの絶対数が増えたことによる村上担の増加はあれど村上さんの「これ!」といった活動の結果によるファンの増加というのは、いまだに訪れていないように思う。なので、エイトファンの数については「増えたなぁ」と思うけど、それに伴わない村上担増加のタイミングをわたしはまだ感じたことがないので、グループの出世を抜きにすると、どのタイミングで村上担が増えたか、という統計にはまとまりは出ないんじゃないかと思う。容姿やキャラクターというものはグループの中に入ってみないと探しようがない。そういったきっかけは結局、ほかならないグループの力であって、個人の飛躍をはかるものにはなり得ないと思う。

 

大きな出世作がなくたって、それを上回る村上さんのたくさんの努力に気付いてくれた人が、村上さんを見つけてくれて、ほっとけなくなって、ファンになってくれたらなぁ。あーだこーだ言われるのも、笑われるのも、笑われそうなことを先回りして予測してしまうことにも、もう疲れた。疲れてしまって、なげやりで、だから最近のわたしは村上さんに優しい。優しくしていればこころは穏やかでまるいだけの愛にあふれる。厳しいことも、嫌だと思うことも、悔しいことも、今はあまり考えたくない。気に入らないことも、いらだつことも、わたしにはまったく理解も共感もできないけれど常識みたいな顔して歩いてる意見もたくさんある。だけど、そういうことのひとつひとつに正直な異を唱えるだけの気力がない。今は本当に疲れてしまっているから、当分はあまく、ぬるく、優しいファンでいられそう。なかなか悪くない響き。

 

大事なことじゃなくても、どんなことでも、余計なことはいたしません。わたしはあなたの、村上さんの、どれいのままでかまわないのです。

2008年10月6日「愛を込めて花束を」

※2008年当時、フラフラのライブがオーラスを迎えたときに書いたものです。若気が至っている。

 

 

 

またまた愛を目撃しました
どうしよう、そろそろ限界です

確かな信頼関係が好き
ふざけあいが好き
思いやりが好き
気付きが好き

渋谷すばる村上信五が大好き!

わたしは村上信五溺愛のひなすば狂いなので何においても一番の利益を得てほしいのは村上信五です。間違いありません。

音楽に身を委ねて魂ごと揺さぶりながら歌う、そうすることを物事の伝達方法として最たるものとしている、わたしのようなものからすれば幾何学以外の何でもないすばるさんの生き方、自分の保ち方を批判するわけではありません。

わたしは音に染まるすばるさんが怖いです。器用な人じゃないから捨てられてしまいそうで、どこまでも高みにいる人だからいつまでたっても届かなくて。

フラフラが始まってから今日までずっと不安なままでした。すばるさんの心配をしているわけではありません。本人が受容していることに関して第三者であるわたし=ファンが消化しきれず悩むことほど歯がゆく非生産的なことはないと強く強く感じています。

だけど落ち着かない
まだまだ終わりが見えません

すばるさん、あなたの音楽が好きな人々の中で最も近くにいる存在を、素直に好きだと言う彼を、あなたの作るすべての世界に、なによりあなたの存在すべてに心酔してしまっている人間のことを

どうか忘れないでください
どうか横を向いてください
どうかどうか、離さないでください

お疲れ様でした
花束きっと大事にしてね
とびっきりのプレゼントでしょう?

ロッテルダム国際映画祭を通して

ソロライブが始まりましたね。ソロCDの発売や映画の公開まで1ヶ月を切りました。ロッテルダムでの映画祭も映画の評判とともに大盛況だったようでなによりです。お疲れ様でした。おかえりなさい。ピアノマン、見ました。正確には、異国の地で歌う渋谷すばるの姿を。


すばるくんがひとりで音楽の絡んだ仕事をするたびに不安になるわたしですが、今回も・・・というには、今回のことはこれまでとは明らかに質が違っていました。今までの方がもっと、すばるくんの気持ちごと、そのまますべてすばるくんを関ジャニ∞じゃない場所へ連れて行ってしまうのではないかという不安は強かった。そちらの方がすばるくんの意志がともなっているであろう部分に、あせりを感じていた。関ジャニ∞じゃないものに興味を持ってしまったすばるくんがこわかった。そんなすばるくんを引き止める力が当時の関ジャニ∞にはない気がしていて、そんなすばるくんを関ジャニ∞に繋ぎとめることができても、やっぱり視線は合わないようで、すばるくんが「いる」だけでは安心できなかった。それは昔の話で、今はもうすばるくんの気持ちが迷いなく関ジャニ∞に向いていることがわかるので、そういう心配はない。けど、言い方は悪いけど以前のそんな心配なんて、結局は井の中の蛙状態で、関ジャニ∞かよそのバンドか、とかアイドルという呼び名への葛藤とか。そんなものは通過点でしかなくて、狭い世界の中の小さな暗闇に過ぎなかったのだと、今では思う。

異国の地で歌うすばるくんの姿は、今まで何度も目にしてきたすばるくんではないようだった。顔と声だけを知っている、誰か別の、知らない人のようだった・・・と、思い込みたかったのかもしれない。知らない人だと思いたかった。こんなにすごい人を「知っている」ことが信じられなかった。この「渋谷すばる」が、わたしの愛してやまない関ジャニ∞のボーカルであることを、誇りに思うよりも、ただただおそろしかった。そして異国の、無名に近い環境であっても、歌というこれ以上ない武器を使って同じように観客を沸かせる渋谷すばる関ジャニ∞の、とは言うけれど、あの場で、ファーストインプレッションの衝撃で、アウェーの地で、あの賞賛を与えられたのは「関ジャニ∞渋谷すばる」ではなかった。「渋谷すばるという日本人」に送られたものだった。やっと関ジャニ∞に夢中になって、真剣に向き合ってくれるようになったすばるくんへの不安がようやくなくなっていたところに、それとは別の、もっと途方もなく、抗いようのないくらい大きな渦に巻き込まれて、すばるくんの意思とは別の強大な力によって、すばるくんがどこか遠くへ、関ジャニ∞じゃない場所へ連れて行かれてしまうような感覚に陥ってしまって、怖かった。もう大丈夫だと思ったのに。映画もソロCDもソロライブもはじめこそ性懲りも無くおなじみの感情に負けそうになったけど、それもそのたびにすばるくんの重すぎずぞんざいにもしない語り口で、納得してきたのに。それほど、本人の本物の言葉をもってしても、あのすばるくんには力があった。何者をも引き込む説得力があった。惹かれずにはいられない。この10年、関ジャニ∞を通してすばるくんを見てきたわたしは、それはもう簡単にすばるくんに惚れ直した。やはり渋谷すばるは間違いない。だからこそ、誰もが手を伸ばさずにはいられない存在感に、その引力が怖かった。連れて行かないで。すばるくんはやっと、やっと関ジャニ∞のものになったんだから。

回り続ける歯車の上で、走り続けなければ巻き込まれてしまう。潰されてしまう。関ジャニ∞は、本当に自分たちがこころの底からやりたいと思えることを、まっすぐに、迷いなく実行できるグループなのか。やりたくないことをはっきりと「やりたくない」と言えるのか。誰かが立ち止まりたい時、立ち止まる必要のある時、その歯車を止めることはゆるされるのか。

思いもよらないところから攻められて、まったく防御が効かなくて困ります。弱点だらけでまいってしまう。わたしは、自分の夢を作る前に、他人の人生に夢を見てしまった。赤の他人である関ジャニ∞に夢を託してしまった。だから、わたしの人生が思い通りにいかないのは当たり前のこと。このまま、縛られたまま。切れそうで切れない運命の糸が少しでも長く、丈夫であるように、必死になって紡ぐだけ。何を言ったって、どうしたって無駄なのです。結局わたしは関ジャニ∞の意のまま、向かうまま、渦巻く流れに身を任せるまま。

すばるくん、おかえりなさい。ぶじでよかった。楽しかったようで、本当によかった。もう何も後ろめたいことなんてないんだから、安心して歌ってね。お疲れさまでした。

レコメン公開録音を終えて

ただのラジオの公開録音でなく、ほかでもない「レコメン」公録。冒頭、過去のレコメンにメンバーが来てくれた時の話をする村上さん。その話はどれも「横ちゃんがいた頃のレコメン」の話だったのに、経験していることなのに、横ちゃんは相槌以上の反応を見せなかった。見せられなかった?複雑そうな表情にも見えて、気になった・・・というより、わかりやすいなぁと思った。仕事の上で緊張して喋れなくなるような人じゃないし、第一緊張するようなことでもない。もうレコメンパーソナリティーではない自分、いちメンバーとしてのレコメンへの参加、長年やっていた、けれどもう自分のものではない場所で、自分がどうするべきか、どんな顔をして、どんな立ち位置で、とにかくどうやって今まで自分がパーソナリティーだったことを知っているメンバーたちと一緒に、ひとりのメンバーとして並べばいいのか、そんなことを「レコメン」におけるメンバーとの距離をはかりかねているようだった。メンバーとしての参加に戸惑っているように見えた。たまの発言もいつものキレがなく、時々フォローするという感じ。一歩どころか数歩引いたところから眺めているような、それもフォローを入れるために遠くに下がってる、という風ではなく。輪に入れない、入り方がわからない・・・そんな風に見えた。メンバーもそれを知ってか知らずか、多少意識はしていたのか?わたしには「明らかに」違う様子に見えた横ちゃんに対して、メンバーは何も言わなかった。ふざけて(あるいは空気を読まないふりをして)「どうしたん横山くん。今日全然喋らんなぁ」とも言わなかった。横ちゃんがはかりかねているメンバーとの距離の空気を読んだのか、そもそもメンバーは「そういう」横ちゃんに慣れているのか。

そんな、ある意味「腫れ物に触れるように」扱われているように見えた「レコメン公録」の横ちゃん。気の置けないはずのメンバーから、というか、メンバーだからこその扱われ方に、これじゃあ余計に横ちゃんは「レコメン」に参加しづらいだろうなぁと思っていたのですが、そんな、自意識とメンバーの目でがんじがらめになった横ちゃんを、乱暴に、かつ自然に引き上げたのが村上さんの「金髪豚野郎」発言だったとわたしは思います(唐突な展開へのつっこみ、お待ちしております)村上さんは「なんかちょっと空気ちゃうなぁ」と思いながらも「まぁええ時に入ってくるやろ」ぐらいの感覚だったかもしれず、なんとかしなきゃ、と考えたわけでは決してなく、天然か、はたまた偶然のいたずらか?でも、村上さんのその、横ちゃんが「ムキになって反応せざるを得ない」一言によって、そしてそれに対する横ちゃんのこれ以上ないヨコヒナ感あふれる反応に、多少なりともその後の違和感を緩和されたことは確かだった。

結局公録は最後までどこかぎこちない横ちゃんのままではあったけど、そのぎこちなさの中に、レコメンを失った横ちゃんの葛藤が見えた。なんでもないことのようにすら見えていたけど(自分が反応以上の深読みをしなかったせいでわからなかったけど)自分の中からレコメンがなくなったこと、横ちゃん、全然平気じゃなかったんだなって、ようやくわかった。横ちゃんが複雑に苦しく、困っている様子に救われた。愛おしかった。それなら今は、その葛藤のなすものに、少しは振り回されてみてもいいと思えた。そしてエンディングでまるちゃんに「ラジオ上手くなったなぁ」と声をかける横ちゃんは、やっぱり先輩で、お兄ちゃんで、関ジャニ∞の当事者であり、一番の理解者だった。そんな姿も見ることができた。公録がレコメンという名目だったおかげで、皮肉だけど、わたしは横ちゃんを克服する糸口を見つけたように思う。

これは関係ないけど公録の話。公録での横ちゃん→大倉と大倉→横ちゃんの反応を見ていて、大倉が警戒しているだけで横ちゃんは大倉を自分の味方だと、自分の理解者になってくれると思っているのかなと思った。大倉の現実的な部分に横ちゃんは共感しているのかなと。そしてそれを、昔の大倉は考えてもみなかっただろうけど、今ではわかってあげてるのかなぁ、なんて。少なくともよこくらの関係は昔と比べるとずっとずっと良好で、有意義なものになっていることを、最近は特に感じるのです。

これは公録とも関係ない話。いろいろあるけど、いろいろ考えてしまうけど、わたしはやっぱり横ちゃんには「みんなのジャニーズ」でなく「関ジャニ∞のためのジャニーズ」であってほしいと、強く、それはもう強く強く思うのです。一生を関ジャニ∞に縛られてほしい。村上さんがそうなることは・・・というより、そうであることは、いつも苦しく思うけど、横ちゃんにもそうであってほしい。舞台、がんばってね。

関ジャニ∞ LIVE TOUR 関ジャニズム東京、名古屋感想(途中まで)

2014.12.13~14 東京ドーム 17:00~19:45

 

おえかき
子どもの声だけを残したインスト。CDとは違う子どもの声にも聞こえたけど、どうかなぁ。しかし相変わらず泣けて泣けて困る。

ブリッジ
誰とは言わないけど(言いたくない)歓声が少なかった。いわゆるDDってそんなにいないのかなぁ。歓声の大小はともかくシルクハット持って会釈するのがそんなにおもしろいかなぁ?あのお嬢さん方が笑って転がした箸、ケツの穴に突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたろかなぁ?

EJコースター
13日「いやぁ、まいったなぁもう」
14日「東京ドームラスト~(または盛り上がろ~のどちらか)」

無責任ヒーロー
がむしゃら行進曲
東京ドームのセンターステージで横一列に並んだキラキラ衣装の関ジャニ∞が「君たちが明日のヒカリだ」って歌いながらまっすぐ腕を伸ばして指差しするのがぐっときすぎて一生この輝き守ろうって誓った。ここは振りが揃ってるのもきれい。花道を走りながら途中で止まって後続のメンバーを「どうぞ~」って案内するのも、両手に花の大倉も、夜な夜ながとにかくかわいすぎた。がむしゃら大好き。

RAGE
相変わらずぬるっと始まりすぎて一瞬理解できなかった。もったいないおばけ召喚しそう。どんより見てたから14日まで気付かなかったけど最初~トロッコに乗るまではバクステで多少みんなでまとまって歌ってて(移動しなきゃでふわっとしてるけど)すばるくんが拳を突き上げて歌ってくれてるのがうれしかった。すばるくんはRAGEが好きなのかもしれない。個人的にRAGEで一番好きなフレーズのところで村上さんはトロッコからメインステへ移動するので歌うのがちょっぴりおざなりになっちゃうのももったいなくてさみしい。これも移動曲のさだめか・・・。

挨拶(村上)
今ツアーは「ぶぁかになろうぜ~~~~~」でいくみたいです。メンバー日替わりなし。

FUN8
三馬鹿以外のメンバーはラップという表現を意識しすぎて?しっちゃかめっちゃか感ある。あまりに作り込んでいるので見てたらヘンな気分になって笑えてくる。三馬鹿は3人で真ん中に寄るだけ。14日は横ちゃんパートの前に「よこちょ!」とすばるくん。村上さんはCDのような抑揚をつけず歌う。

三十路少年
振りのかわいらしさが大勝利すぎる。「あ~からだじゅうだるくても」のぴしっ!で毎回すばるくんが抜かれてるのはすばるくんパートだからだとは思うけど、にしてもあの振りが一番かわいいのは絶対にすばるくんなので、それも大大大勝利!腰が痛い振りも「いつか見せたるからな晴れ姿~」のところのミニモニみたいな「カッカッ」の振りもかわいい。横断歩道ジャンプしたりヘリコプター見てテンション上がったりしながら移動してすれ違っていくよこひな儚くて毎回死にそうになる。その後のよこひな掛け合いのところで横ちゃんわけわかんなくなってて「何月何日何曜日何時何分何秒ですか~?」を「何月何日何曜日何時何分何曜日ですか~?」って曜日何回も出てきちゃってる。少なくとも2日ともそうだった。14日は「それよかよこ、おれのことかっこいいって言うとったよな?」「そんなん言うてへんし、きっしょ~」って、よこ、が入ってた。びっくりした。個人的には14日の「また照れて」があまりに鮮明に聞こえすぎてギャー村上さんたらなに言っちゃってんの!?ってなったけど歌詞カード確認したらアドリブでもなんでもなかった。でも「ほんまこの子はいっつもいっつも、しゃあないなぁ」っていう感情のにじむいい「また照れて」だった。すごくよかった。14日は生徒さんが来ていたということで、亮ちゃんパートでの「キャー!」の大歓声が聞かせられてよかった。へーちゃん先生がとんでもないアイドルだということをお見せすることができたと思う。

ブリッジ
アダムとイヴ
奈落の正方形が結構小さそうに見えたのでスリムになったとはいえよこくらふたりで背中合わせしてよくシュッと出てこれるなぁと感動した。大倉の「come on」と「くちびるでなぞって」と「消えていった」の後の振りは今後も絶対に見ようと思う。特に「消えていった」のあとのシュッ(説明できない)はほんとに・・・ほんといい・・・。横ちゃんはやっぱりハイヒール(赤)だった。

アイスクリーム
ふたりがセンステに集合するところ、やすちゃん間に合うのに毎回小走りしててかわいすぎる。亮ちゃんは最後の方だけちょこちょこっと小走り。天使の宴にもほどがある。かわいい。


あの格好で出てきているからには多少の反応はしてもらいたいというか、想定していると思うので、前奏のくすくす笑いは必要というか、期待された演出のひとつだと思う。笑いが起きたってその後の歌でもれなくはっとさせられるのだから、どうこう言うことではないと思う。

ブリッジ
アトラクションにガタがきてて動かなくなっておっきい着ぐるみ?に向かってあーでもないこーでもないって一生懸命訴えかける村上さんがかわいい。



2014.12.27~28 ナゴヤドーム 17:00~19:30/15:00~17:45

27日は3塁側のメインステ横だったこともあり上から奈落が丸見えだった。おえかきがかかる2~3分前くらいに「おーっ!」という声が聞こえて、円陣してるんだなぁと思った。

おえかき
ブリッジ
奈落開いてるので並んで待機してる頭が見えてた。茶髪っぽかったから村上さんだったのかな。暗闇でも衣装が光ってた。

EJコースター
EJの村上さんわりとたんたんと振りをすすめてる印象をうけたので頭で考えるよりもからだが先に動いちゃうのかもしれない。あの真顔(でも口角が上がってるので笑ってるように見える)でお仕事してる感がたまらないです。

無責任ヒーロー
がむしゃら行進曲
27日は指差しするところで亮ちゃんがイヤホン押さえててあぁ・・・ってなった。あそこ好きだから。28日はぴしっとおそろい。花道走っていくところ、村上さんとやすちゃんが後ろをちらちら振り返りながらぴゃーっと先に行ったところに大倉が両腕を広げて後ろからがっしり両手に花しにいくのが毎回かわいすぎる。夜な夜なかわいい。天使の夜な夜なに「あっちやで!」って案内される後続のメンバーもかわいい。夜な夜なの案内する天国の門くぐりたすぎる。2日ともまるちゃんは大倉におしり触られてた。わりとソフトタッチっぽいのに、それにちゃんと気付くまるちゃんすごい。敏感肌。

RAGE
すばるくんの突き上げた拳と熱い声に救われる。RAGEを噛み締めてくれているようでありがたい。28日、「決戦のステージを この手に 掴み取れ」で開いた手のひらをぎゅっと握って高く掲げる村上さんを目の前で見た。今年最後のRAGE、これが今年1年ずっと、なによりもずっと感情を揺さぶられた、嬉しくて泣いて悔しくて泣いた曲だった。RAGEを聴くといろんなことを思い出す。ずっとつらかったこととか、悔しかったこととか、それでもやっぱり、これ以上に嬉しいことは今までになかったと思えたこととか。本当に嬉しかった。