「俺たちの家」

ViViの梅佳代さんグラビア「俺たちの家」のテキストを読んだ。その中でエイトは「アイドルグループというよりはひとつの家族のよう」だと表現されていた。

 

個人的に、わたしは自分の家族とはややいびつでぎこちない付き合いをしており、家族全体を眺めてみても、どうしてもしっくりこない感覚がいつまでたっても拭えない。だからだとは思うけど、わたしは家族の生き生きしている瞬間や、楽しいと思うことをあまり知らない。たぶん、家族というものに対する価値観みたいなものがずれていて、わたしは「家族」に対してあまり丁寧ではなく誠実でもなく、どちらかというと得意ではない。

 

関ジャニ∞はもちろん本物の「家族」ではない。だけど、だからこそ「家族」のようになろうとして、いや本当は「家族」でなくてもよかったのかもしれないけど、この関係をどうにかしないと「やっていけない」と考えたときに、これからも「関ジャニ∞」を続けていくための選択肢として、「家族のような関係」という究極にたどり着いたのかなと思う。そのためにお互いがお互いをわかり合おうと、見えているところも見えにくいところも見たくないところも真摯に見つめ合い続けた結果、家族という血の繋がりに相当しうるなにか別の、それでいて濃厚で特別な慈愛に満ちた唯一無二の関係を築くことができたのではないかと思う。

 

わたしにとっての家族というものは決して「いいもの」ではない。だけど関ジャニ∞が家族然としている雰囲気や風景は、それはとても「いい」ものだと思う。家族というものに苦手意識を抱いているわたしは関ジャニ∞という「家族」にあこがれとときめきを感じている。それとは別に、関ジャニ∞の、「個」でいるために「全」を慈しみ、縋り付かずにはいられない不安定だからこそその手に力を込めてしまう繋がりへのこだわりを、わたしはとても愛おしく思う。そんなゆらぎの上で今日も関ジャニ∞は繋がっているのだと思うと、いじらしさとせつなさで胸がいっぱいになる。家族っていいものなんだなぁと、関ジャニ∞を見ていると、素直にそう思える。それだけで今はじゅうぶんで、この上なく幸せなのです。

2015年5月9日~9月21日 33歳のひなすばまとめ

★テレビ
ひな「(ドッジですばるくんのもとにボールが落ちてきて、すばるくんをブランケットで)いっかいくるむわ!」(5月 クロニクル)
すばる「(誰がボールをもらえるかを決めるために)ヒナちゃんクイズする?」(6月 クロニクル)
「おっちゃんがんばって」と言いながらバーレスクダンスで開脚したすばるくんの股間を触る村上さん→すば「これこれぇ!」→村上さんすばるくんの頭を持って支えるも「痛い痛い!」と言われ手を離す→すば「持て!頭持て!頭持て!」(6月 ジャニ勉)
前向きにちなんでひょっとこのお面を後ろ頭につけることでどちらを向いても前向きになる、ということを説明しながらほかのメンバーが後ろを向いてお面を見せる中すばるくんが正面を向いたまま「前向き」を表現する様子を見て村上さんもそれに倣い、ふたりでカメラ目線をきめる(8月 Mステ)
すばるくんのキメ顔のタイミングに合わせてイケメン村上君人形を配置(9月 クロニクル)
ひな「すばるのハナミズキ、おれ、一青さんよりええなぁって思ってますよ。好きすぎて」(9月 関ジャム)

 

★ラジオ
リサイタル開演前サッカーの話(レコメン:8/20、9/3 通信:8/10 すばらじ:8/15)
メールには「すばるくん」と書いてあるのについ「すばる」と自分の呼び方にしてしまう村上さん(6/18 レコメン)
ひな「(台風がきているので)土曜日どうかなって(サッカーするために)すばると逆算せなあかんから」(9/3 レコメン)
ひな「朝ごはんをよその家でよばれるなんかもうメンバーの家ぐらいじゃないですかね。むかーしジュニアの時に泊まっとってよばれたの。すばるんち泊まった時、ちょっとパン焼いてもうてとかあったけどなぁ。そんときに紅茶やったかな、あ、すばるんち朝は紅茶なんやって思ったけどなぁ。紅茶のあとにホットコーヒーとか出してくれたんやけどマイコップみたいなんですばるのとかは出てきてたから、これが渋谷家の朝の風景なんやなぁって思って。結構な衝撃でしたけどね」(9月 通信)

 

★雑誌
クロニクル卓球前にペア柔軟(5月 ジョンほか)
すばる「(槙原さんとのセッションで)頑張るヒナに勇気をもらって自分もしっかり歌おうと気合が入った」(6月 ガイド)
村上さんがすばるくんをおんぶ(8月 ガイド)
すばる「(リサイタル開演前にひなすば+スタッフさんでサッカーして)疲れてクッタクタになるけどテンションは上がります」(8月 ぴあ)
すばる「ゲストを迎えてのトークも肝だけどトークでは村上さんに頼りきってる」ひな「やっぱり歌をセッションする番組。歌の面ではすばるに頼りきってる」(8月 月刊ガイド)

 

★リサイタル
リサイタル開演前にミニサッカー(福井、三重、長野:8/8、8/9 岩手:8/15、8/16 鹿児島:8/29、8/30 静岡:9/12)
挨拶後~ジャニーズメドレー前の衣装解説コント
足首を痛めたすばるくんを心配する村上さん(7/25 リサイタル三重)
すばる「(ナポリタンのおかわりですべりまくった村上さんに)付き合い長いけどめっちゃドキドキしたわ!」(8/2 リサイタル福井)
すばる「(村上さんの色が黒すぎて)チョコボール村上!チョコボール信五!」(8/2 リサイタル福井)
ひな「(絵描き歌で伝えたるで)すばるのあとは誰がいいの?」すばる「すばるのあとはぁ・・・」(8/2 リサイタル福井)
ひな「(答えをひとつに合わせたるで)おっぱいくん(=すばるくん、の答え)に合わせよう」(8/2 リサイタル福井)
すばる「すばるのあとにしんごでもええけどしんごのあとにすばるのほうがいいと思う」(8/9 リサイタル長野)
一緒に番組をしたいジャニーズは?すばる「村上信五」ひな「渋谷すばる」(8/15 リサイタル岩手)
メンバー内でキスしてもいいのは?ひな「すばる」(9/6 リサイタル宮城)
「おれの画力じゃ(このすばるの絵は)汲めんよ!」とじっとすばるくんを見つめながら距離を詰める村上さん(9/12 リサイタル静岡)
罰ゲームですばるくんによって電流を流されビクビクする村上さん(9/13 リサイタル静岡)

ロマンチスト・エゴイスト

最近ぽろぽろと目にすることが多かったのでいわゆる「熱愛報道」について腰を据えて考えてみる。腰を据える、とは言うもののしょせんわたしはロマンチスト・エゴイストな物語と思い入れを大事にするタイプのオタクなので地に足がつかないうわついた語りになることは容易に想像がつく。ちなみにロマンチスト・エゴイストとはポルノグラフィティさんの楽曲のタイトルをいただいていますが特別な因果関係はありません。ポルノグラフィティさんのロマンチスト・エゴイストはとてもとてもよい曲です。

 

「本気愛」の解釈には人それぞれあるだろうけど、わたしにとっては「担当」みたいなものでこの界隈の便利な共通言語に過ぎないのでその言葉を使うことに何の拒否も嫌悪感もないという前置きをしておく。わたしはいわゆる「本気愛」ではないと、自分なりの解釈の中ではそういうことになると、そう思っている。そんな「本気愛ではない」わたしも、その報道にはざわついた。そもそもファンをしていて平常心でいられていることのほうが少ないわたしだけど、そのときはだいぶ平常心からは逸脱した精神状態を実感した。すでに平生が平常ではないわたしが平生を逸脱するというのは、声をあげて髪をかき乱して取り乱すようなことこそなかったけれど、それでもからだの奥からこみ上げるような感情の渦は確かにあった。その渦は不安であり焦燥でもあるもので、次第に恐怖にも変わった。どれをとっても引っこ抜いたとて根の見えない感情ばかりで、それこそが自分の今の答えだと思った。そんな感情の渦は様々な進路をたどって、寄り道したり行き止まったりしながら最終的にはすべて「この出来事のせいで気持ちが翳ってファンをやめることになったら」という絶望に帰結した。ファンのままでいるもいないも、やめるもやめないも自分の気持ち次第でどうしたっていいはず、またはどうにでもなるはずなのに、わたしにはそれをどうすることもできない。気持ちひとつでファンをやめたっていい、などという潔さはもちろんない。あってはならないと言っても過言ではない。

 

もしもその個人のファンをやめることになったとして、同じグループの誰かに変えて思いを寄せることは現時点ではありえない。わたしは村上担だけど、村上さんのことを今の熱量のまま応援することをやめるなら、次はもうないと思っている。きれいさっぱりオタ卒しようと思っている。ほかのグループへの鞍替えなんて考えられない。ジャニーズであればなんでもいいわけでも、ジャニーズを追いかけられればそれでいいわけでもない。わたしは関ジャニ∞以外のものにこの熱を注ぐ気は、少なくとも同事務所内ではまったくない。わたしにとってわたしの生活から関ジャニ∞がなくなることは、その時点で少なくともひとつの人生が終わることだ。大きなことを言うようだけど、決して大げさなことではない。

 

「そんなことでやめられるなら」という「もしも」には理由がある。明確な理由さえあれば、あとはそのときを待つのみで、案外落ち着いた日々を送ることができるのかもしれない。だけどそうじゃない。理由になりそうなことはいくつかあるけど、そのどれもが現実味を帯びていない。ありえそうな理由のすべてに「そのときはファンをやめるかもしれない」と付け足してみたところで、絶対、ということにはならない。自分が考えうる「繋がりそうなルート」をいくらたどってみたってそれは結局のところ事が起こってみないとわからない可能性でしかない。

 

熱愛とか、結婚とか。そういうことになったとき、わたしはファンをやめるかもしれない。だけどやめないかもしれない。想像するしかないけど、やめないだろうなとも思う。結局なにか理由をつけてファンを続けそうな気がする。というわけで、というかどういうわけだという感じですが、わたしは関ジャニ∞のファンをやめたくないし村上さんのことも応援し続けたいけどリアルな熱愛報道や結婚報道があったとして、恋愛感情で追いかけているわけではないにしろどうしてもそれによって多少は気持ちに翳りが出そうなので、そういう報道が嫌というよりはそういう報道によって自分の気持ちが揺れて人生がひっくり返るようなことが起こるかもしれない可能性が怖い、というのがわたしの見解です。むりやり結論っぽくしたけどぶっちゃけよくわからないし、まず最初に直通する感情は結局どうせ「イヤ!」なんだけど、まぁよかろう。自分勝手でもいいでしょう。こんなにも思いを募らせて人生ふっかけてることがそもそもとんでもない自分勝手なのだから。

2008年10月5日通信

※昔のケータイに残っていた当時の関ジャニ通信のメモです

 

 

 

今日のメンバー:よこ、ひな、まる、やす

 

ひな「今日ちっちゃいオッサンがいないんでね~ひさしぶりに!」
明日ですばコンはラスト
11日から大倉ソロコン

 

最近新曲の宣伝などで特に一緒の仕事が多いありえへん3人
まるちゃんとはごはん行ったりしてるけどやすちゃんとは相変わらず、と村上さん

 

やす「(村上さんのこと)キライです!」
ひな「おまえあと2年はそれ引っ張れよ!」
やす「フットサルは行かへん!」

 

よこ「ヤスはヒナのなにが嫌なん?ヒゲ?」
ヒゲに関しては高評価のやすちゃん
やす「ヒゲいいっすね~!」
ヒゲがあるほうが調子がいい村上さん
ヒゲを剃ることで肌に負担をかけてしまう

よこ「ぼーぼーやんけ。おまえほんまゴリラやな」

ひな「ゴリラだいたいぼーぼーや」

 

無責任ヒーロー

 

投稿相談物語
Q.服を買うときに気を付けていることは?

 

あまり服を買わない村上さん
スタイリストさんから買うまるちゃん
行くのは決まったセレクトショップ2軒の横ちゃん

横ちゃんは衣装も私服もそんなに変わらない
大阪と東京のスタイリストさんはちょっと違う
大阪のスタイリストさんはちょっと派手

新しい服を買うときは持ってる服を考えるやすちゃん
楽だからポロシャツばかり持ってる村上さん

 

9年前に横ちゃんとタイへロケに行った時に買ったコンバースの靴を今日も履いている村上さん
ジーパンも10年前のもの
むかしジーパンが流行った時に翼くんや相葉ちゃんビンテージビンテージ言ってるのがうらやましかった

ひな「ジーパンつくる!自分の味を出す!」
よこ「ってアホみたいな顔で言ってた」
ジーパンを自分でリメイクした村上さん(ジュニア時代)
まる「村上ビンテージ」
よこ「ビンテージビンボーニン」

 

Q.つい買ってしまうものは?

漫画のリメイク版(でかいやつ)とアニメのDVDボックスはつい買ってしまう横ちゃん
よこ「高い!めっちゃ高い!」
すばるくんの誕生日プレゼントを買うためにすばるくんが喜びそうなエッチなビデオコーナーに入ったけどお金がもったいない&人目が気になったのでむかしすばるくんが食い付いてきたアニメのDVD(めちゃくちゃ高い)を買った横ちゃん

 

やすちゃんは楽器をバーンと買う
それを無駄遣い扱いする横ちゃん
やす「おれにとっては無駄ちゃうねんから!」
やす「大地のパワー」

 

知人の店に行って知り合いがいたら「一杯おごるわ!」と言ってしまうまるちゃん
ひな「そんなん好きやねんな」
まる「羽振りええやろ~」

 

やす「そんではもっかい!」
無責任ヒーロー

 

恋愛について語る4人
ひな「なるようになるからな!」
ひな「偶然は必然」

 

まる「運命とか興味ない?」
よこ「運命いうたらダダダダーン」

 

無責任ヒーロー

前向きスクリーム!

いよっ!

 

前向き!前向き!(前向き!前向き!)
前向き!前向き!(前向き!前向き!)
前向き!前向き!(前向き!前向き!)
我が人生 旅

 

調子乗って前のめってドジ踏んで
やっちまったそんでもってへたこいた
そんなこんな毎日にもがいてりゃそう
前向き!前向き!(前向き!前向き!)

 

とーちゃんかーちゃんひいばあちゃん
みんな揃って踊りゃええさ
完全にハイテンション完全燃焼
前向き!前向き!(前向き!前向き!)

 

さぁ 皆の者熱くなれ
今に輝く星となれ Oh

 

我が人生 旅 お祭り大騒ぎ
良いも悪いも越えて
我らゆく旅路 この日々は祭り 熱き風にさすらえ

 

前向き!前向き!(前向き!前向き!)
前向き!前向き!(ハイハイハイハイ!)
前向き!前向き!(ソレソレソレソレ!)
我が人生 旅

 

前向き!前向き!(前向き!前向き!)
前向き!前向き!(ハイハイハイハイ!)
前向き!前向き!(ソレソレソレソレ!)
我らゆく限り

 

老若男女 古今東西
空前絶後 奇想天外
さぁ皆の者馬鹿になれ
誰も真似できぬ馬鹿になれ Oh
同じ阿呆なら弾けにゃ損損

 

我が人生 旅 お祭り大騒ぎ
良いも悪いも越えて
我らゆく旅路 この日々は祭り 熱き風にさすらえ

 

前向き!前向き!(前向き!前向き!)
前向き!前向き!(ハイハイハイハイ!)
前向き!前向き!(ソレソレソレ!)
我が人生 旅

 

前向き!前向き!(前向き!前向き!)
前向き!前向き!(ハイハイハイハイ!)
前向き!前向き!(ソレソレソレソレ!)
我らゆく旅路よ

 

 

 

2015年7月2日のレコメンで初オンエアされたものをどうにか文字起こし。関ジャニ∞お得意の底抜けに明るいにぎやかなお祭りソング!最高!これが関ジャニ∞のA面だというイメージが世間にもあるならこれはもう大成功!関ジャニ∞の大勝利!勝利の祝杯をあげながら、この曲にすらかぎつけてしまう関ジャニ∞のB面、もしかするともっともっと奥底に秘められた「関ジャニ∞」の「裏」に思い耽って、夏を前にしてわたしはすでに涙腺ゆるゆる野郎です。

 

強くないのにどこまでも明るい。なにも悲しいことなんてないのに、どこか切ない。

 

関ジャニ∞はいつだって明るく元気に前を向いて、強い気持ちでがんばっている。それなのにわたしはそんな関ジャニ∞になかなか幸せな物語を添えられない。決して正解ではないのに間違ってもいない気にさせるこの「物語」に、わたしはいまだに酔っている。

 

 

 

くそ~~~~~関ジャニ∞!!!!!好きだ!!!!!大好きだ!!!!!前向き前向き!!!!!!!!!!

レコメン「関ジャニ∞会議」に送ったメール

こんばんは。いつも楽しく聴いています。少し長いですが、よろしければ聞いてください。
わたしは関ジャニ∞が松竹座でコンサートをしている頃から今まで応援してきました。ちょうどエイトレンジャーを初めてコンサートでやった頃です。
その頃はこんなにも毎日のようにテレビに出ている姿が見られる日が来るなんて夢にも思っていませんでした。ましてやバンドに関しては、それありきでの音楽番組を持つことができるなど、夢のまた夢のようなことで、バンドはコンサート会場でしか見られない、コンサートに来たファンの特権であればよいとすら思っていました。こんなにもバンドがフューチャーされて、注目されるようになるなんて、やっぱり今でも夢のように思います。
それ以上にわたしが心を踊らされたのは、初めて京セラドームでコンサートをさせてもらったときやその年の47都道府県ツアーで初めて立った東京ドームのステージ。その4年後に敢行された初の5大ドームツアーでした。関ジャニ∞が「コンビニ感覚」のグループでなくなったことも、会場が大きくなることでの物理的な距離の開きも、そんなものにはこれっぽっちもさみしさなんかは抱きませんでした。大きな会場に集まったファンを盛大に沸かせる関ジャニ∞がまぶしくて、たのもしくて、会場が大きければ大きいほど、胸いっぱいの幸せを感じることができました。外野であるファンがこんなことを言うのも失礼だとは思いますが、ドームのステージに立つ関ジャニ∞を見るたびに、何を夢に見ればよいのかわからなくなったときもあったけど、それでも関ジャニ∞を信じて応援し続けてきてよかったと、何度も何度も喜びを噛み締めました。何度も何度も、嬉しくて泣きました。
わたしのようなファンは決して少なくないと思います。ファンは関ジャニ∞と、ただふれあいたいだけではありません。近くで姿が見られればそれでいいわけでもありません。
どれだけ距離が遠くても、その「距離」に、わたしは大きな成長を感じます。ただでは近付けない存在になってしまった関ジャニ∞に、言葉にできないほどの高揚感を覚えます。
そのような存在になることは、明るく陽気にいつもみんなのそばにいるアイドル、という風にやってきた関ジャニ∞には、むしろ違和感のあること なのかもしれません。さみしさがまったくないと言えば、嘘になることもあります。
それでも、遠くで輝く大きな背中をいつまでもいつまでも追いかけていたいです。追いつかないからといって、諦めたりはしません。関ジャニ∞が見せてくれる夢や希望がわたしの背中を押す限り、わたしは関ジャニ∞を応援し続けます。
いつもありがとうございます。リサイタル、楽しみにしています。
失礼しました。

「関ジャニ∞ LIVE TOUR 関ジャニズム」を終えて

「いつまでかわいそうぶってんだ」と思われてもいい。「自分だけが被害者だと思うな」と言われてもいい。先のことはわからないけど、そうであってほしいという願いを込めて、わたしは今回のことを「後にも先にもこんなに悲しいことはなかった」と表現する。かわいそうだとでも思わなければ、こんなにもつらいことは、きっとたえられなかった。

 

出会いの札幌は最悪だった。東京、名古屋、福岡でやっぱりこのグループが好きだと思って、大阪・・・特にオーラスの「ビジネス」には多少がっかりした。札幌から東京までの1ヶ月の間に怒りや胸くその悪さは案外これというきっかけもなく鎮火した。それでも意地でも、好きにはならなかった。なりたくなかった。これを好きだということは、自分の好きな人を置いてきぼりにすることなのだと思えてならず、そんなことはできなかった。ゆるすことで「結局その程度の出来事」だなんて思われたくなかった。当事者でない誰にも、なにも、勝手に判断されたくなかったし、理解されたくもなかった。できるはずがないと思っていた。

 

これまで、こんなにもグループに不信感を抱いたことはなかった。どちらかといえば、関ジャニ∞ありきで村上さんのことが好きだったし、関ジャニ∞にいる村上さんが好きだった。今までにもいろんなことがあって、憤ったり、いらだったりしたことはあったけど、ひとつひとつの「扱い」に対して、こんなにも過敏になったことはなかった。どうやらその理由は、10周年の記念すべき年のツアーで「こんなこと」をされて、というわけではなかったようで、今になって考えてみれば、その年の春にいただいたサッカーワールドカップのキャスターという大きなお仕事と、それにともなうタイアップ曲「RAGE」の存在、その「扱い」への不満が、なによりのきっかけだったように思う。いま思えば理にかなっていないことだと思うけど、それに気付かず、怒りの矛先をグループへ向けてしまったことが、根底にある原因なのだと思う。自分にとってこのお仕事と「RAGE」はとてつもなく大きな存在だった。こんなに嬉しいことは今までになかった。誇らしかった。誰彼かまわず自慢したかった。そんな多幸感に満ちあふれた出来事をもたらした村上さんを、わたしはあらためて、いや今までにないくらい見直した。それなのに、こんなにも大きなことを成し遂げたというのに、なお変わらないものがあるというのは、こんなにも名誉ある出来事をもってしてもなにひとつとしてグループに影響を及ぼすことがなかったことが、ただただ絶望的だった。自分の思い入れとのギャップへの憤りが主だったのだと思う。勝手な話だけど、結局それに終始する。今までにも経験してきていたはずなのに、今回に関してはあまりにも思い入れが大きすぎて、ギャップもひろがって、冷静になるよりゆるせなかった。ゆるしたら負けだと思っていた。今でも思っている。負けたくないからゆるせなくて、今もまだ、冷静にはなれない。

 

まわりが見えなくなってしまった自分はなんて暴力的なのだろうと思う。絶望は、「正当に評価されてほしい」というわがままが生み出したことと、嫌いになりたくなかったものを嫌いになってしまったことにつきる。こんなことをゆるすグループを嫌いになったし、そんなグループをゆるせなかった。正論で言い返されるのがこわくて時々は先手を打つように「本人にも非がある」と前置きをしたこともあった。本当は、そんなことはただの一度も思ったことがない。村上さんが悪いわけがないと、本当にそう思っていたし、それだけが希望だった。天上からつるされたひとすじの蜘蛛の糸だった。神様を信じられなくなることがこわかった。信じたこともない神様を引っ張り出してでも、脚色を重ねた妄想で身を滅ぼすことになったとしても、縋りついていたかった。しがみつくしかなかった。

 

「僕以外のメンバーを見てください」この言葉に対してがっかりしたり、本人を責めたりすることは、わたしにはできない。本人がそう言うのも無理はない、本当にそんなツアーだった。今でもゆるしていない。今年のイフオアが「ゆるせない」ことに拍車をかけたことも自覚しているのだけど、それはまた別の機会に。

 

わたしにはこのツアーをまっとうに評価することはできない。このツアーを通してグループに感じたつまらなさが言いがかりに近い悪態のひとつでないかどうかなんて、わたしにはもう判断できない。こんなものは早く終わらせてしまおう。「関ジャニズム」に縛られるのは、もうやめよう。どうかやめられますように。

「ありがとう。」

「自分で叶えられるかどうかもわからないような、そんなたいそれた夢なんてみたって仕方ない」と言う村上さんと違って、わたしは、自分の力では叶えることのできない夢しかみたことがない。これまで自分が達成してきたことは、なにひとつとして夢なんかじゃなかった。自分にとっての妥当で、有り得る目標に過ぎなかった。それをつまらないとは思わないし、極端ではあるけど、自分の功績で人生を彩る必要はないと思っている。誰かの夢がわたしをつくる。こんな自分のためなんかじゃ、ばからしくてがんばれない。素敵な誰かを応援し、素敵な誰かの一端を自分が預かっているという使命感に酔って、誰かのためにけずられるのが好きだ。そういう自己犠牲的な選択にむなしくなるどころか達成感をおぼえるような、痛々しいにもほどがあるファンだ。しかしこのようなことをドヤ顔で語っているようではいけない。こういうひとりよがりで、自分で責任をとれないものに荷重をかけてあまつさえ怒りすらぶつけるというのは、深刻なルール違反だ。いちおう、そうも思って自分を律したいと考えてはいる。だけど、わたしごときがルール違反をおかしたって、わたしにとっての素敵な人の人生は1秒だって縛れない。だから安心して、勝手なことを言えるのだとも思う。

 

なので「勝手」なことを言う。

 

わたしは村上さんのファンなので、村上さんには誰よりも愛されていてほしいと思っているし、誰もが尊重し、慈しみ、ねぎらい、優しくあまい対応をするべきだと思っている。無謀だけど、わりと本気で思っている。ほかのメンバーと比べて他担からのお褒めの言葉が少ないことを、自分がほかのメンバーに対してそうであることはぽーんと棚に放りあげながら、そんなことを、わたしはかなり気にしている。それだけならまだしも、こちらの気も知らないで振りかざされる「村上くんだから」というOKラインの粗雑な暴力性は、わたしにとってはまったくもってオッケーではない。本人は気にしていないとか、受け入れているとか、良しとしているとかいう、そうであるかもしれない寛容な「本人」をもってしても、わたしにはなかなか受け入れられない。

 

話はそれるが、ドラマや映画といった演技の仕事が何においても偉い、というか、選ばれることは優れていることで、そういったものから声がかからないことはバカにされて然るべきこと、という「この仕事がすごい(または偉い)ランキング」には疑問しかない。その部分でバカにされて、見下されてきた人は、いざそういう仕事がきたときにだって、あの手この手でバカにされる。どんな役でも「優れたものの真似」として笑われる。何をしてもそんな扱いを受けるなら、そんなことはしなくていい。そんなものはなくていい。

 

グループを愛さないから、距離を詰めようとしないから、心を開こうとしないから、この現状があるのだと言われれば、それはその通りで否定はできない。そうしてこなかったことが先か、そうなるきっかけに値する愛おしさを欠いたのが先か。それはどちらとも言えない。答えは出なくてもいいし、なんなら出てほしくない。好きなものを責めるきっかけなんて、少ないほうがいいに決まってる。

 

わたしのような「グループに居場所をなくした」ファンにとって、ブラマヨことブラックマヨネーズのおふたりと村上さんが、内容的には色恋の下衆な話が主とはいえ、レギュラー番組で共演し、ああでもないこうでもないとお互いの話をする機会があることは、どんなに感謝をつくしてもつくしきれないほどありがたいことだった。

 

村マヨが全国放送になるにあたり、番組に足りないと思うものとして、村上さんは「華がない」ことをあげた。そんな村上さんにブラマヨのふたりは口を揃えて「華あるやん!」と、ありがたいことに村上さんのことを指してくれた。だけど当の村上さんはといえばお決まりの「僕なんか、」と自分を卑下する言葉を口にした。わたしは、そんな村上さんを見る吉田さんの目に「村上くんはこういう返しをすることに慣れてる子なんやな」という憐れみが浮かんでいるように感じてしまった。そして本当に勝手ながら、吉田さんは「村上くんがずっとこんな感じなら、ファンの子は大変やろうな」と思ってくれるのではないかという期待をしてしまった。

 

アイドルであることそのものをこき下ろされ、あれもこれも頭から否定され、自らもそんなことを言うのだから「これも自分の道」だと、本人は納得してやっているのだと思われても仕方ないし、そういう部分もたしかにあるのだろうけど、その物分かりの良さや、あったかどうかもわからなくされた葛藤の行方の不透明さに、村上さんのことが好きで好きでたまらないファンである自分はばっさりと断ち切られ、これこそが地獄なのでは、と思うような悲しみの暗闇へ突き落とされた。かわいそうなだけならまだしも、かわいそうなただなかで前を向いている。その道についていくのが嫌で、それでも本人を否定することはできない。なんで村上さんまで地獄づくりに協力しちゃうのかな。そんなことを嘆くことしかできない。かと思えば「心の痛点なくなってきた」と弱音みたいなことを言ってみたり、吉田さんが理解してくれる自分のことを「なかなか人にわかってもらえない」ことだと嘆き、理解されていると感じれば、喜ぶ。隙があるんだかないんだか。めんどくさいひと。でも好きなひと。勝手なのはお互い様で、その点をあらそう気などは特にない。

 

吉田さんは横ちゃんに似ている。めんどくさいところ、あれこれ考えすぎるところ、相手に潜む奥を見ることができるところ。だけど吉田さんと違って横ちゃんは、村上さんとの間に関ジャニ∞というグループの繋がりがあるために、村上さんに対して無責任になりきれない。こちらが捨て去ってほしいと思っているあやういバランスや複雑な関係性を通さなければ、そのままのふたりではきっと関ジャニ∞には帰れない。吉田さんのような、村上さん自身がありがたいと思うような理解者が関ジャニ∞にいてくれればと願うけど、それは叶わない。きっと叶ってはいけない。そうであるからなおのこと、吉田さんとの継続的な共演の機会は、わたしのようなファンにとっては涙が出るほどありがたい。小杉さんは小杉さんで、仲の良いお兄ちゃんのように接してくれて、村上さんのことをかわいがってくれている。願望込みだけど、ふたりともきっと村上さんのことを気に入ってくれていると思う。村上さんのことを好きだと、おもしろいと思う点で、また村上さんからふたりへの接し方を見ていても、小杉さんはまるちゃんのようだし、吉田さんは、やっぱり横ちゃんだと思う。グループの外ではあるけれど、本当に、本当にありがたい存在で、どれだけ感謝をしてもしきれない。

 

わかりあうことと思いやることは違うということを、なるべく意識していたい。
そういう期待は夢だと悟って、できるだけスマートにこの先の道を歩めるようになりたい次第です。