あんたの「どれい」のままでいい

関ジャニ∞のファンの絶対数が増えたことによる村上担の増加はあれど村上さんの「これ!」といった活動の結果によるファンの増加というのは、いまだに訪れていないように思う。なので、エイトファンの数については「増えたなぁ」と思うけど、それに伴わない村上担増加のタイミングをわたしはまだ感じたことがないので、グループの出世を抜きにすると、どのタイミングで村上担が増えたか、という統計にはまとまりは出ないんじゃないかと思う。容姿やキャラクターというものはグループの中に入ってみないと探しようがない。そういったきっかけは結局、ほかならないグループの力であって、個人の飛躍をはかるものにはなり得ないと思う。

 

大きな出世作がなくたって、それを上回る村上さんのたくさんの努力に気付いてくれた人が、村上さんを見つけてくれて、ほっとけなくなって、ファンになってくれたらなぁ。あーだこーだ言われるのも、笑われるのも、笑われそうなことを先回りして予測してしまうことにも、もう疲れた。疲れてしまって、なげやりで、だから最近のわたしは村上さんに優しい。優しくしていればこころは穏やかでまるいだけの愛にあふれる。厳しいことも、嫌だと思うことも、悔しいことも、今はあまり考えたくない。気に入らないことも、いらだつことも、わたしにはまったく理解も共感もできないけれど常識みたいな顔して歩いてる意見もたくさんある。だけど、そういうことのひとつひとつに正直な異を唱えるだけの気力がない。今は本当に疲れてしまっているから、当分はあまく、ぬるく、優しいファンでいられそう。なかなか悪くない響き。

 

大事なことじゃなくても、どんなことでも、余計なことはいたしません。わたしはあなたの、村上さんの、どれいのままでかまわないのです。

2008年10月6日「愛を込めて花束を」

※2008年当時、フラフラのライブがオーラスを迎えたときに書いたものです。若気が至っている。

 

 

 

またまた愛を目撃しました
どうしよう、そろそろ限界です

確かな信頼関係が好き
ふざけあいが好き
思いやりが好き
気付きが好き

渋谷すばる村上信五が大好き!

わたしは村上信五溺愛のひなすば狂いなので何においても一番の利益を得てほしいのは村上信五です。間違いありません。

音楽に身を委ねて魂ごと揺さぶりながら歌う、そうすることを物事の伝達方法として最たるものとしている、わたしのようなものからすれば幾何学以外の何でもないすばるさんの生き方、自分の保ち方を批判するわけではありません。

わたしは音に染まるすばるさんが怖いです。器用な人じゃないから捨てられてしまいそうで、どこまでも高みにいる人だからいつまでたっても届かなくて。

フラフラが始まってから今日までずっと不安なままでした。すばるさんの心配をしているわけではありません。本人が受容していることに関して第三者であるわたし=ファンが消化しきれず悩むことほど歯がゆく非生産的なことはないと強く強く感じています。

だけど落ち着かない
まだまだ終わりが見えません

すばるさん、あなたの音楽が好きな人々の中で最も近くにいる存在を、素直に好きだと言う彼を、あなたの作るすべての世界に、なによりあなたの存在すべてに心酔してしまっている人間のことを

どうか忘れないでください
どうか横を向いてください
どうかどうか、離さないでください

お疲れ様でした
花束きっと大事にしてね
とびっきりのプレゼントでしょう?

ロッテルダム国際映画祭を通して

ソロライブが始まりましたね。ソロCDの発売や映画の公開まで1ヶ月を切りました。ロッテルダムでの映画祭も映画の評判とともに大盛況だったようでなによりです。お疲れ様でした。おかえりなさい。ピアノマン、見ました。正確には、異国の地で歌う渋谷すばるの姿を。


すばるくんがひとりで音楽の絡んだ仕事をするたびに不安になるわたしですが、今回も・・・というには、今回のことはこれまでとは明らかに質が違っていました。今までの方がもっと、すばるくんの気持ちごと、そのまますべてすばるくんを関ジャニ∞じゃない場所へ連れて行ってしまうのではないかという不安は強かった。そちらの方がすばるくんの意志がともなっているであろう部分に、あせりを感じていた。関ジャニ∞じゃないものに興味を持ってしまったすばるくんがこわかった。そんなすばるくんを引き止める力が当時の関ジャニ∞にはない気がしていて、そんなすばるくんを関ジャニ∞に繋ぎとめることができても、やっぱり視線は合わないようで、すばるくんが「いる」だけでは安心できなかった。それは昔の話で、今はもうすばるくんの気持ちが迷いなく関ジャニ∞に向いていることがわかるので、そういう心配はない。けど、言い方は悪いけど以前のそんな心配なんて、結局は井の中の蛙状態で、関ジャニ∞かよそのバンドか、とかアイドルという呼び名への葛藤とか。そんなものは通過点でしかなくて、狭い世界の中の小さな暗闇に過ぎなかったのだと、今では思う。

異国の地で歌うすばるくんの姿は、今まで何度も目にしてきたすばるくんではないようだった。顔と声だけを知っている、誰か別の、知らない人のようだった・・・と、思い込みたかったのかもしれない。知らない人だと思いたかった。こんなにすごい人を「知っている」ことが信じられなかった。この「渋谷すばる」が、わたしの愛してやまない関ジャニ∞のボーカルであることを、誇りに思うよりも、ただただおそろしかった。そして異国の、無名に近い環境であっても、歌というこれ以上ない武器を使って同じように観客を沸かせる渋谷すばる関ジャニ∞の、とは言うけれど、あの場で、ファーストインプレッションの衝撃で、アウェーの地で、あの賞賛を与えられたのは「関ジャニ∞渋谷すばる」ではなかった。「渋谷すばるという日本人」に送られたものだった。やっと関ジャニ∞に夢中になって、真剣に向き合ってくれるようになったすばるくんへの不安がようやくなくなっていたところに、それとは別の、もっと途方もなく、抗いようのないくらい大きな渦に巻き込まれて、すばるくんの意思とは別の強大な力によって、すばるくんがどこか遠くへ、関ジャニ∞じゃない場所へ連れて行かれてしまうような感覚に陥ってしまって、怖かった。もう大丈夫だと思ったのに。映画もソロCDもソロライブもはじめこそ性懲りも無くおなじみの感情に負けそうになったけど、それもそのたびにすばるくんの重すぎずぞんざいにもしない語り口で、納得してきたのに。それほど、本人の本物の言葉をもってしても、あのすばるくんには力があった。何者をも引き込む説得力があった。惹かれずにはいられない。この10年、関ジャニ∞を通してすばるくんを見てきたわたしは、それはもう簡単にすばるくんに惚れ直した。やはり渋谷すばるは間違いない。だからこそ、誰もが手を伸ばさずにはいられない存在感に、その引力が怖かった。連れて行かないで。すばるくんはやっと、やっと関ジャニ∞のものになったんだから。

回り続ける歯車の上で、走り続けなければ巻き込まれてしまう。潰されてしまう。関ジャニ∞は、本当に自分たちがこころの底からやりたいと思えることを、まっすぐに、迷いなく実行できるグループなのか。やりたくないことをはっきりと「やりたくない」と言えるのか。誰かが立ち止まりたい時、立ち止まる必要のある時、その歯車を止めることはゆるされるのか。

思いもよらないところから攻められて、まったく防御が効かなくて困ります。弱点だらけでまいってしまう。わたしは、自分の夢を作る前に、他人の人生に夢を見てしまった。赤の他人である関ジャニ∞に夢を託してしまった。だから、わたしの人生が思い通りにいかないのは当たり前のこと。このまま、縛られたまま。切れそうで切れない運命の糸が少しでも長く、丈夫であるように、必死になって紡ぐだけ。何を言ったって、どうしたって無駄なのです。結局わたしは関ジャニ∞の意のまま、向かうまま、渦巻く流れに身を任せるまま。

すばるくん、おかえりなさい。ぶじでよかった。楽しかったようで、本当によかった。もう何も後ろめたいことなんてないんだから、安心して歌ってね。お疲れさまでした。

レコメン公開録音を終えて

ただのラジオの公開録音でなく、ほかでもない「レコメン」公録。冒頭、過去のレコメンにメンバーが来てくれた時の話をする村上さん。その話はどれも「横ちゃんがいた頃のレコメン」の話だったのに、経験していることなのに、横ちゃんは相槌以上の反応を見せなかった。見せられなかった?複雑そうな表情にも見えて、気になった・・・というより、わかりやすいなぁと思った。仕事の上で緊張して喋れなくなるような人じゃないし、第一緊張するようなことでもない。もうレコメンパーソナリティーではない自分、いちメンバーとしてのレコメンへの参加、長年やっていた、けれどもう自分のものではない場所で、自分がどうするべきか、どんな顔をして、どんな立ち位置で、とにかくどうやって今まで自分がパーソナリティーだったことを知っているメンバーたちと一緒に、ひとりのメンバーとして並べばいいのか、そんなことを「レコメン」におけるメンバーとの距離をはかりかねているようだった。メンバーとしての参加に戸惑っているように見えた。たまの発言もいつものキレがなく、時々フォローするという感じ。一歩どころか数歩引いたところから眺めているような、それもフォローを入れるために遠くに下がってる、という風ではなく。輪に入れない、入り方がわからない・・・そんな風に見えた。メンバーもそれを知ってか知らずか、多少意識はしていたのか?わたしには「明らかに」違う様子に見えた横ちゃんに対して、メンバーは何も言わなかった。ふざけて(あるいは空気を読まないふりをして)「どうしたん横山くん。今日全然喋らんなぁ」とも言わなかった。横ちゃんがはかりかねているメンバーとの距離の空気を読んだのか、そもそもメンバーは「そういう」横ちゃんに慣れているのか。

そんな、ある意味「腫れ物に触れるように」扱われているように見えた「レコメン公録」の横ちゃん。気の置けないはずのメンバーから、というか、メンバーだからこその扱われ方に、これじゃあ余計に横ちゃんは「レコメン」に参加しづらいだろうなぁと思っていたのですが、そんな、自意識とメンバーの目でがんじがらめになった横ちゃんを、乱暴に、かつ自然に引き上げたのが村上さんの「金髪豚野郎」発言だったとわたしは思います(唐突な展開へのつっこみ、お待ちしております)村上さんは「なんかちょっと空気ちゃうなぁ」と思いながらも「まぁええ時に入ってくるやろ」ぐらいの感覚だったかもしれず、なんとかしなきゃ、と考えたわけでは決してなく、天然か、はたまた偶然のいたずらか?でも、村上さんのその、横ちゃんが「ムキになって反応せざるを得ない」一言によって、そしてそれに対する横ちゃんのこれ以上ないヨコヒナ感あふれる反応に、多少なりともその後の違和感を緩和されたことは確かだった。

結局公録は最後までどこかぎこちない横ちゃんのままではあったけど、そのぎこちなさの中に、レコメンを失った横ちゃんの葛藤が見えた。なんでもないことのようにすら見えていたけど(自分が反応以上の深読みをしなかったせいでわからなかったけど)自分の中からレコメンがなくなったこと、横ちゃん、全然平気じゃなかったんだなって、ようやくわかった。横ちゃんが複雑に苦しく、困っている様子に救われた。愛おしかった。それなら今は、その葛藤のなすものに、少しは振り回されてみてもいいと思えた。そしてエンディングでまるちゃんに「ラジオ上手くなったなぁ」と声をかける横ちゃんは、やっぱり先輩で、お兄ちゃんで、関ジャニ∞の当事者であり、一番の理解者だった。そんな姿も見ることができた。公録がレコメンという名目だったおかげで、皮肉だけど、わたしは横ちゃんを克服する糸口を見つけたように思う。

これは関係ないけど公録の話。公録での横ちゃん→大倉と大倉→横ちゃんの反応を見ていて、大倉が警戒しているだけで横ちゃんは大倉を自分の味方だと、自分の理解者になってくれると思っているのかなと思った。大倉の現実的な部分に横ちゃんは共感しているのかなと。そしてそれを、昔の大倉は考えてもみなかっただろうけど、今ではわかってあげてるのかなぁ、なんて。少なくともよこくらの関係は昔と比べるとずっとずっと良好で、有意義なものになっていることを、最近は特に感じるのです。

これは公録とも関係ない話。いろいろあるけど、いろいろ考えてしまうけど、わたしはやっぱり横ちゃんには「みんなのジャニーズ」でなく「関ジャニ∞のためのジャニーズ」であってほしいと、強く、それはもう強く強く思うのです。一生を関ジャニ∞に縛られてほしい。村上さんがそうなることは・・・というより、そうであることは、いつも苦しく思うけど、横ちゃんにもそうであってほしい。舞台、がんばってね。

関ジャニ∞ LIVE TOUR 関ジャニズム東京、名古屋感想(途中まで)

2014.12.13~14 東京ドーム 17:00~19:45

 

おえかき
子どもの声だけを残したインスト。CDとは違う子どもの声にも聞こえたけど、どうかなぁ。しかし相変わらず泣けて泣けて困る。

ブリッジ
誰とは言わないけど(言いたくない)歓声が少なかった。いわゆるDDってそんなにいないのかなぁ。歓声の大小はともかくシルクハット持って会釈するのがそんなにおもしろいかなぁ?あのお嬢さん方が笑って転がした箸、ケツの穴に突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたろかなぁ?

EJコースター
13日「いやぁ、まいったなぁもう」
14日「東京ドームラスト~(または盛り上がろ~のどちらか)」

無責任ヒーロー
がむしゃら行進曲
東京ドームのセンターステージで横一列に並んだキラキラ衣装の関ジャニ∞が「君たちが明日のヒカリだ」って歌いながらまっすぐ腕を伸ばして指差しするのがぐっときすぎて一生この輝き守ろうって誓った。ここは振りが揃ってるのもきれい。花道を走りながら途中で止まって後続のメンバーを「どうぞ~」って案内するのも、両手に花の大倉も、夜な夜ながとにかくかわいすぎた。がむしゃら大好き。

RAGE
相変わらずぬるっと始まりすぎて一瞬理解できなかった。もったいないおばけ召喚しそう。どんより見てたから14日まで気付かなかったけど最初~トロッコに乗るまではバクステで多少みんなでまとまって歌ってて(移動しなきゃでふわっとしてるけど)すばるくんが拳を突き上げて歌ってくれてるのがうれしかった。すばるくんはRAGEが好きなのかもしれない。個人的にRAGEで一番好きなフレーズのところで村上さんはトロッコからメインステへ移動するので歌うのがちょっぴりおざなりになっちゃうのももったいなくてさみしい。これも移動曲のさだめか・・・。

挨拶(村上)
今ツアーは「ぶぁかになろうぜ~~~~~」でいくみたいです。メンバー日替わりなし。

FUN8
三馬鹿以外のメンバーはラップという表現を意識しすぎて?しっちゃかめっちゃか感ある。あまりに作り込んでいるので見てたらヘンな気分になって笑えてくる。三馬鹿は3人で真ん中に寄るだけ。14日は横ちゃんパートの前に「よこちょ!」とすばるくん。村上さんはCDのような抑揚をつけず歌う。

三十路少年
振りのかわいらしさが大勝利すぎる。「あ~からだじゅうだるくても」のぴしっ!で毎回すばるくんが抜かれてるのはすばるくんパートだからだとは思うけど、にしてもあの振りが一番かわいいのは絶対にすばるくんなので、それも大大大勝利!腰が痛い振りも「いつか見せたるからな晴れ姿~」のところのミニモニみたいな「カッカッ」の振りもかわいい。横断歩道ジャンプしたりヘリコプター見てテンション上がったりしながら移動してすれ違っていくよこひな儚くて毎回死にそうになる。その後のよこひな掛け合いのところで横ちゃんわけわかんなくなってて「何月何日何曜日何時何分何秒ですか~?」を「何月何日何曜日何時何分何曜日ですか~?」って曜日何回も出てきちゃってる。少なくとも2日ともそうだった。14日は「それよかよこ、おれのことかっこいいって言うとったよな?」「そんなん言うてへんし、きっしょ~」って、よこ、が入ってた。びっくりした。個人的には14日の「また照れて」があまりに鮮明に聞こえすぎてギャー村上さんたらなに言っちゃってんの!?ってなったけど歌詞カード確認したらアドリブでもなんでもなかった。でも「ほんまこの子はいっつもいっつも、しゃあないなぁ」っていう感情のにじむいい「また照れて」だった。すごくよかった。14日は生徒さんが来ていたということで、亮ちゃんパートでの「キャー!」の大歓声が聞かせられてよかった。へーちゃん先生がとんでもないアイドルだということをお見せすることができたと思う。

ブリッジ
アダムとイヴ
奈落の正方形が結構小さそうに見えたのでスリムになったとはいえよこくらふたりで背中合わせしてよくシュッと出てこれるなぁと感動した。大倉の「come on」と「くちびるでなぞって」と「消えていった」の後の振りは今後も絶対に見ようと思う。特に「消えていった」のあとのシュッ(説明できない)はほんとに・・・ほんといい・・・。横ちゃんはやっぱりハイヒール(赤)だった。

アイスクリーム
ふたりがセンステに集合するところ、やすちゃん間に合うのに毎回小走りしててかわいすぎる。亮ちゃんは最後の方だけちょこちょこっと小走り。天使の宴にもほどがある。かわいい。


あの格好で出てきているからには多少の反応はしてもらいたいというか、想定していると思うので、前奏のくすくす笑いは必要というか、期待された演出のひとつだと思う。笑いが起きたってその後の歌でもれなくはっとさせられるのだから、どうこう言うことではないと思う。

ブリッジ
アトラクションにガタがきてて動かなくなっておっきい着ぐるみ?に向かってあーでもないこーでもないって一生懸命訴えかける村上さんがかわいい。



2014.12.27~28 ナゴヤドーム 17:00~19:30/15:00~17:45

27日は3塁側のメインステ横だったこともあり上から奈落が丸見えだった。おえかきがかかる2~3分前くらいに「おーっ!」という声が聞こえて、円陣してるんだなぁと思った。

おえかき
ブリッジ
奈落開いてるので並んで待機してる頭が見えてた。茶髪っぽかったから村上さんだったのかな。暗闇でも衣装が光ってた。

EJコースター
EJの村上さんわりとたんたんと振りをすすめてる印象をうけたので頭で考えるよりもからだが先に動いちゃうのかもしれない。あの真顔(でも口角が上がってるので笑ってるように見える)でお仕事してる感がたまらないです。

無責任ヒーロー
がむしゃら行進曲
27日は指差しするところで亮ちゃんがイヤホン押さえててあぁ・・・ってなった。あそこ好きだから。28日はぴしっとおそろい。花道走っていくところ、村上さんとやすちゃんが後ろをちらちら振り返りながらぴゃーっと先に行ったところに大倉が両腕を広げて後ろからがっしり両手に花しにいくのが毎回かわいすぎる。夜な夜なかわいい。天使の夜な夜なに「あっちやで!」って案内される後続のメンバーもかわいい。夜な夜なの案内する天国の門くぐりたすぎる。2日ともまるちゃんは大倉におしり触られてた。わりとソフトタッチっぽいのに、それにちゃんと気付くまるちゃんすごい。敏感肌。

RAGE
すばるくんの突き上げた拳と熱い声に救われる。RAGEを噛み締めてくれているようでありがたい。28日、「決戦のステージを この手に 掴み取れ」で開いた手のひらをぎゅっと握って高く掲げる村上さんを目の前で見た。今年最後のRAGE、これが今年1年ずっと、なによりもずっと感情を揺さぶられた、嬉しくて泣いて悔しくて泣いた曲だった。RAGEを聴くといろんなことを思い出す。ずっとつらかったこととか、悔しかったこととか、それでもやっぱり、これ以上に嬉しいことは今までになかったと思えたこととか。本当に嬉しかった。

羽ばたいた君がこの足に明日を照らす翼をくれた

去年は今までファンをしていて、間違いなく一番と言えるほど、嬉しいことがありました。それと同時に、これはあなたはそうは思っていないでしょうが、どうしようもなく悲しくて、苦しくて、もうあなたのことを見ていられなくなりそうなこともありました。それを人のせいにしました。その途中で先の「嬉しいこと」にまた助けられました。それがまた苦しさの引き金になり、文字通り泣いたり笑ったり・・・泣いたことのほうが多かったかもしれません。わたしにとっては、つらいことのほうがずっと多かった1年でした。


いつもあなたは2番手以下でした。それを悔しいとも言わないで、見せないままで、いつまでたっても自分に自信の持てないあなたが、誰かがつけた足跡をなぞることしかできなかったあなたが「関ジャニ∞がファンを新しい場所へ連れて行く」と、自分もみんなと一緒に前へ立ってグループを引っ張っていくんだと、しっかりと、自分の言葉で伝えてくれましたね。そんな言葉を聞くのは、わたしは初めてでした。頼もしくて嬉しくて、それがどんな道でも、ずっとずっと着いていこうと思いました。

そして本当に大きな、これ以上ない夢を叶えられたこと。そのために人知れず、理解されたいとも認めてもらいたいとも言わず、欲も出さず。これは、ひたすらに努力を重ねてきた日々がくれた、与えられるべくして与えられた、あなただけの努力の結晶です。そんなあなたにとってはきっとそこについてきたタイアップ曲のことは、そう意識していないことなのでしょうが、だからこそ、わたしのようなファンにとっては、明日を照らす翼と言える最高のプレゼントでした。ありがとう。本当に、本当に嬉しかったです。

わたしは、あなたがつらいと言わないつらそうなことを先回りして心配してしまうような、あなたにとっては営業妨害でしかないファンだと思います。迷惑はかけないので、それはゆるしてね。わたしにとってはあなたにまつわることは、つらいことのほうが多いけれど、わたしが苦しいだけであなたから逃げることは絶対にしません。まだ誰も知らないあなたの夢がいつかきっと叶う日まで、影ながらあなたを応援します。わたしはさしずめ、あなたの知らないところであなたのことを地獄の底から愛する影です。だから、これからもきっと天国には連れて行けない。天国は、自分の足で目指してください。その背中がどれだけ遠くなっても、きれいに、大きく見えるよう、わたしも健康にだけは気をつけます。村上さんも、からだにだけはどうか気を付けて。こころもからだも元気なら、どれだけがんばってくれてもかまわない。そうじゃないなら、自分では気付けなくても、まわりにいる優しい人の言葉には、鬱陶しがらず、面倒に思っても、どうか耳を傾けて。あなたが思うより、あなたは、たくさんの人に優しく思われているし、きっと嫌になるくらい、心配されています。その優しさに気付くことは、決して甘えではありません。愛される自分を嫌いにならないでください。

村上さん、お誕生日おめでとうございます。誰が何と言おうと、これは恋です。覚悟を決めて諦めて、黙って一生愛されてください。いつもありがとう。今年も1年よろしくお願いします。

それでも恋は、恋

「今は」バンドがやりたいと言ったすばるくんの、音楽をやるという夢が実現してしまったら、もう引き返せなくなるような気がした。もう後には戻れない。未定が残したきっかけは思いもよらない方向に進んで、すばるくんのハートに火をつけて、綺麗な約束を残したまま。きっと未定が「弐」を刻むことはないんだろうなと、八祭のインタビューを読んで思った。すばるくんが未定の、村上さんのもとに戻ってくることはもう二度とない。どこかでそう思っているのは、わたしだけではないと思う。だけど不思議と、それが悲しいわけではない。未定はあの時のふたりが作ったものとして、ただそれだけであればいい。続きがないであろうことも、すばるくんにその気がないであろうことも、特別悲しいことはない。ただ、今ではもう未定ことを考えて、というわけではないにしろ、あれから毎年続けているイフオアのことを、すばるくんが「今は」その気もないのに、あるとして、何十年も先の、気の遠くなるくらい先の未来を期待して、「ふたりの場所を守り続けてくれている」というのは、輝くように無邪気で、真綿で首をしめるように残酷なことだなぁと思う。

変な意味でなく、村上さんは、すばるくんに恋をしている。すばるくんのことを否定できないし、嫌われるようなこともできない。妬みや嫉みを感じる前に、いつも愛おしく思ってしまう。

グループにいたい村上さんを、横山さんとすばるくんはゆるしてくれないかもしれない。
その厳しさが村上さんの背中を押すこともあると、それが愛だと、そう思える時が少しでも長く続きますように。

出せない手紙

村上さんを自信へ導くものがあるとすれば、それは関ジャニ∞であって、尊敬すべき才能のかたまり、輝きの光、どうしようもないけどどうしようもなく愛しく素晴らしいメンバーで構成されたグループに所属している自分・・・という現実がひとまずは揺るぎない事実である、ということだと思うのです。それはいつでも自分自身からわき上がるものではないようで、ひとりになると途端に潰えるそれを回収できるいつか・・・グループに戻った時のために、振り切って思い切って覚悟をきめて飛び込んでいる・・・それはこの先も村上さんが関ジャニ∞に所属するための試練であり、課題でもある。グループがあるから安心して何でもできる、というよりは、グループがあるから下手なことはできない。その縛りこそが、ひとりの時の緊張感を増し、グループに戻った時の役割の遂行に繋がっているのではないかと思っているのです。

村上さんが1年間グループの中で得た自信や、育んでいたかもしれない愛情を、毎年イフオアという存在がリセットしてしまっているのではないかと、わたしは思っています。イフオアができる自分、という経験値が、村上さんにとって糧となっているようには見えず、毎年この時期が来ると、わたしは村上さんがかわいそうでたまらなくなる。何に繋がるとも見えない模索を重ねる村上さんを今年もまた見つめるのだと思うと、気が重くなる。楽しみだけど、それだけで何もかもを覆えるわけではない。進みの遅い足踏みで、春を待つ息苦しさ。果てしない冬に苦しめられる孤独。出口の遠い、苦しい迷路。息継ぎすらもままならない。千秋楽を迎えれば出口、というわけではない。ストレスのはけ口、というのも信用できない。複雑な関係。静かに首を絞め合うもの。

村上さんが今までに叶えてきたことの中には、わたしがそれを村上さんの夢だと認識していなかったものがたくさんありました。そういう人なのです。言わなくてもこつこつと、ひとつずつ道を繋げる力を持っている人だったし、誰かに見てもらわなくたって、自分で自分を鼓舞して、律して、一生懸命になれる人。ソロコンでのメンバーへあてた手紙で、村上さんが教えてくれたことを、最近は特に思い出します。8年前の、ちょうどこの時期のことです。


僕はよく「何を考えているのかわからない」と言われます。
話すことが苦手なわけではないけれど、あまり自分の考えを話したりする方ではありません。
だからわかりにくいと思われているのかもしれないけど、それなら行動で示したい。前に進みたい。
グループという帰ってくる場所があるから。受け入れてくれる場所があるから。
いつもありがとう。


その通りだと思った。夢という言葉で語ったり、教えてくれたりすることはあまりないけれど、叶ったり、手に入れたりした後に、ふと振り返れば、ああ、これ、やりたかったんだな、って。今回も教えてくれなかったけど、きっとこれが夢だったんだなって。きっとまたひとりで、たくさんたくさん頑張ってきたんだろうなって。つらいとも、苦しいとも、何にも教えてくれないまま、今回もまた、きれいに作り上げられた結果だけを届けてくれたんだなって。そのすべてが「出せない手紙」なのだと思う。きっとこの先も、ずっと。

14日の涙を見て、わたしは今まで村上さんにいわれのない理想を押し付けて、期待と呼ぶには現実味の薄い願望ばかりを抱いてきたけど、もしかするとそのすべてが見当違い、というわけではなかったのかもしれないと思いました。というか、そう思ってしまった。何ができるようになったって、どうなったって自信がなくて、誰かをうらやむこともあるけれど、その誰かを妬むことはしなかった。人のせいにはしなかった。努力もせずに口先だけで何かをほしがったりはしなかったし、その「ほしいもの」が誰かのせいで手に入らない、というわけではないこともわかっていた。すべては自分次第だとわかっているから、だから何も言わなかった。何も言わず、ただただ努力を積み重ねた。自分を見つめて、自分自身と、孤独に戦って。

村上さんのほしいものは、わたしがあげられるものではない。わたしは、村上さんのヒーローにはなれない。そもそもヒーローという存在に期待すらしていなさそうな村上さんが、苦しくて、つらくて、何かに縋りたいと思えた時に、手を伸ばしたところにあるのが「関ジャニ∞」であることを願っています。ひとりで戦い続ける村上さんが、前しか向きたくない村上さんが、それでも後ろを振り返ってしまった時に、いつもそこにいてくれるのが関ジャニ∞のメンバーでありますように。わたしにはそう願うことしかできないし、その姿を見ていることしかできないけれど、それでも願い続けます。


誰も知らないその夢が、いつかきっと叶いますように。