イフオア10千秋楽公演によせて

先月のことになりますが、イフオア10千秋楽公演に参加しました。30公演を10年間、通算300回目の公演。イフオア9の初日に友達と「来年のイフオアの千秋楽は300回公演だね」という話をしたことを思い出します。来年の、なんて話をすると鬼が笑うと言ったものですが、ありがたいことに今年はそのようなこともなく、無事300回目の公演を迎えることができました。

 

どんなものにも終わりがくる。わたしはいつも、その可能性から目を背けてしまう。悲しい「もしも」から目をそらして、変わらぬ未来を夢見てしまう。今回も、299回目まではそれでよかった。見ないふりして考えないで、笑われてしまうような来年の話をして、幸せに浸っていればよかった。だけどもう、それはできない。これからは、いつかきっと訪れるはずの301回目を信じて待つ日々になる。

 
終わりがあるから始まりがある。始まりがあれば続きを期待するし、その中で起こる変化に揺れたり、まだ見ぬ終わりに怯えたり。とはいえ、未定に代わるようにして始まったイフオアが10年も続くなんて、10年前のわたしは少しも想像していなかった。そして10年後の自分にとってイフオアがこんなにも大きな存在になっていることだって、まったく想像していなかった。
 
村上さんのことを好きだなぁと思う瞬間はたくさんある。嫌いだなんて思うことはないけれど、しょうがないなぁと思うことはたまにある。そして今はもうなくなったけれど、悲しいな、歯がゆいなと思っていたこともある。パブリックイメージをなぞるあまりファンとしての存在を認められていないのではないかと感じていたさみしさ。どんなに大きなことを成し遂げてもなかなか自信を持ってくれない歯がゆさ。苦しくて切なくて、どうしようもないのに自分の中で考え方や捉え方を変えることができなくて、つらい気持ちでいっぱいになって。だけどやっぱり大好きで、愛おしくて目が離せなくて、これはもう自分が村上担である限り背負わなければならないものなのだとあきらめるように覚悟を決めたこともあった 。その頃のツイートやブログを振り返ると、それはそれは見事な杞憂に満ちていてわれながら少し笑ってしまう。今も不意に杞憂に襲われることはあるけれど、頻度や内容は随分変わったように思う。その理由は村上さん自身の変化にこれ以上ないほど心が救われたことにほかならない。
 
がんばりやさんの村上さん。誰にも何も言わないで、夢を叶える村上さん。そんな村上さんが誇らしくて頼もしくて、支えるなんて大それたことは言えないけど、等身大のそのがんばりを遠くからそっと応援できるだけでよかった。それだけで幸せだったのに、そんな覚悟を決めたわたしをイフオアはとことん甘やかした。
 
イフオアがあってよかった。村上さんの変化に影響したのはイフオアだけではないけれど、イフオアのおかげでわたしは、大好きな人に思いが届くこと、それを受け入れてもらえること、その思いに答えてもらえることの喜びを知った。それはそれまでに感じたことのなかったこの上ない幸福感であり、もしかすると愛されているのではないかと、相思相愛なんて言葉がよぎる、夢のような錯覚。アイドルとファンの相思相愛なんて思い違いもいいとこだけど、イフオアがあって、イフオアで愛おしさに満ちた時間を過ごしたことで、わたしはそんな勘違いを希望に変えてしまった。そしてそんな希望の光をくれたイフオアは、今年で一度その10年の歴史に幕を下ろす。
 
あの日の村上さん、優しかったなぁ。あんなに言葉を選びながら、言いにくそうにしながら、絶対にまたイフオアとして帰ってくるなんて約束してもらったら、もうなにも言えないよね。村上さん、すごく真摯に伝えてくれた。本当はファンには知られたくないんじゃないかと思うような理由まで、丁寧に、話してくれた。村上さんからこんなにも気を遣われる日が来るなんてなぁと感慨深く思ったりもして。さみしくて、だけどなにより幸せで、ここに来るまでいろんなことがあったけど、この人を見つけられたこと、この人のことが大好きでたまらないこと、そのすべてがわたしの誇りだと、あらためて強く思った。
 
村上さん、10年間お疲れさまでした。村上さんとわたしたちだけの場所で、次の内緒話ができる日が来ることを願っています。たくさんの幸せをありがとうございました。大好きです。