「関ジャニズム」を聴いてしまう前に

もともと言いたいことは、言える場であればその時に言ってしまう方で、たいていは結論が先に出ていることが多い。ただ、それだけだとあまりに突拍子もないので、その都度いろいろ付けたり足したりはする。言いたいことはたくさんあって、思考が及ぶことは「優」だと思っているふしがある・・・ということは、ずっと前から気付いていたことで、そういう自分が好きだけど、気持ち悪いと思っている。昔からずっと。

今回のことについては、いろいろなことを吐き出しすぎて、まったく自分がわからなくなっていた。出された情報やメンバーの発言、それに対するファンの意見。そのすべてにおぼれてしまって、吐き出すことが息をすることだった。苦しかった。息を、呼吸をするために何でも吐き出した。あることないこと、というわけではない。吐き出したものはすべて、わたしの中に確かにあるもので、そこには嘘も虚勢も無理もなかった。感情の浮き沈みがそのまま思考になって、言葉としてぶちまけられていった。出しても出しても苦しいままで何にもならなかったけど、吐き出さずにはいられなかった。吐き出す言葉は全て自分の頭の中にあることなのに、その言葉はどれも自分を納得させてはくれなかった。

せっかくのアルバムのソロがネタ曲扱いで気に入らない
それもこれも「プロデュース」した横山さんのせい
断らなかった村上さんにも責任はある

言いたいことはこれだけなのに、必要以上にそれを語る言葉を武装させてしまった自覚はある。黙って納得していると思われたくなかった。誰に?わからない。いつできるかわからないけど、自分が納得するまでの複雑な過程を残しておきたかった。納得して受け入れるのが愛なら、こんなにもぐちゃぐちゃな感情があふれて止まらないのもわたしなりの愛のなす、自衛のための攻撃だった。最終的には複雑というよりは混雑してしまって、情緒不安定に意見も移り変わって、また戻っての繰り返しで、以前に自分が何と言ったかも思い出せなくなってしまっていたけど。

結局自分は何が不満だったのか。しまいにはもう文句が言いたいだけ、気に入らないと言いたいだけ、人のせいにしたいだけ、だった。あれはもう意見ではなくて、ただの愚痴。理に適わない妄想。

わたしは村上さんが好きです。気持ちは好きだと叫ぶのに、それなのに、その好きなところをわたしはひとつも言葉にできない。どうしてこんなに好きになったのかわからない。どんなにそれらしい言葉で語っても、どれひとつとして物足りない。たぶん一生説明できない。健康でいてほしい。暑くも寒くもなく、おなかをへらすこともなく、あまりイライラしないように。雨が降らず、波も風も立たず、毒に触れることもなく。明るい幸せの真ん中で、いつも笑っていてほしい。誰よりも報われてほしい。万人に好かれて、愛されてほしい。見てくれや型を、求められるものを必要以上にくみ取ってとげとげしくなったり、あたりかまわず噛みついたりしなくてもいいように。素直に愛嬌をふりまけるように。それが村上さんにもゆるされる世界であるように。

村上さんの好きなところも嫌いなところもきっと同じくらいくらいある。でも、好きなところは過去からの積み重ねで、嫌いなところは、過去を美化しがちなわたしとしては、比較的新しいものが多い。数は同じでも重みが違うので都合によっていくらでも蹴り飛ばしてなかったことにして無視できるのは重みのない嫌いなところ・・・というのはただのニュアンスで、本当は、好きで好きでたまらない人を否定したくなかっただけ。認めたくなかっただけ。人のせいにして、村上さんをかわいそうにして。その方が村上さんのことを、好きでいられるというだけ。村上さんを好きでい続けたい、自分の好きな村上さんでい続けてほしいと思うあまり、横山さんや関ジャニ∞を攻撃した。先にも言ったように、無理やりに、ではない。もともと気持ちの中にはあったけど、普段はそんなことをわざわざ言う気にならないくらい、横山さんのことも、関ジャニ∞のことも大好きだから、そこに「ある」だけの感情だったもの。それをここぞとばかりに引っ張り出して、ないこと、ではないけど、必要以上に攻撃してしまった自覚はある。関係ないことも言ったと思うし、私情まみれで見れたもんじゃない。ひとりよがり。ほんとに自分は女だな、と嫌になった。大好きで、大切にしている自分の中の「村上さん」を守りたいがために、大好きな関ジャニ∞を悪く言うことで、気持ちがすっきりするはずもなく、ストレスはたまる一方。傷口に塩を塗りこんでいるだけだったのだと、今では思う。

ツアーを見据えたアルバム、ひさしぶりのソロ曲。ソロなら自分が出せるかも、と思ったものの方向性を提案した人がいた。その人のおもしろがったような発言。その提案にあまり乗り気ではないのに、別の意見を出さなかった本人。放り投げられて転がってきたものを拾い上げたのは他でもない本人の手。本当に信頼なんてきれいな言葉で受け入れたものなのか、どうでもよかったのか、逃げなのか。ふたりの複雑な関係性だけがゆるすものなのか。これをゆるす関係がこのまま続いてもいいものなのか。過去にきれいだったものは、時の流れや変化に左右されず、今も美しく輝くのか。

相変わらずすっきりはしないけど、いまできるだけの整理をして、アルバムを聴きます。

好きなことを好きな時に好きなだけつぶやく場としてはいますが、これからもそうしていくとは思いますが。今回のことで特に、わたしのつぶやきを目にした人には、かなり嫌な思いをさせてしまったことと思います。本当に、すみませんでした。



わたしは関ジャニ∞が好きです。村上さんのことが、大好きです。