あんたのどれいのままでいい

関ジャニ∞や村上信五さんにあれとかこれとかそれとかいうブログという名のツイッターの延長です(Twitter:443108)

目の前の闇をかき分けて届くまで

SONGSの感想的なやーつです。

 

 

 

わたしがこれといったきっかけやイメージもなにもなく直感的にエイトを好きになったからか、またはそれまでもそのあともほかのジャニーズに興味を持つことなくエイトのやることなすことすべてが世界の中心であり、ほかのものとくらべることがなかったからか・・・理由ははっきりしないけど、わたしはエイトに対して「ほんとはもっとかっこいいのに」とか「エイトだってかっこいいできるのに」とか「また大阪曲か」とか、そういうことでがっかりしたことはなかった。好きになった頃のわたしは高校生で、ただ単に、いろんな事情や悶々とした雰囲気、エイトの中にあった葛藤や繊細なものを感じ取れなかっただけなのかもしれないけど。

 

大阪の陽気なお兄ちゃん扱いやイロモノ曲にどれだけエイトが悩んで焦って苦しんでいたかということは、わたしには想像できそうで、できない。わたしはそういうエイトをかっこいいと思っていた。もちろん今でも思っている。それがエイトの個性だと思ってたし、その個性はエイトにしか背負えないものだと誇っていた。イロモノの色を、エイトは理解して飲み込んでいた。本当はそんなに物分かり良くはなれない場面がいくつもあったのかもしれないけど、少なくともなにも知らないただのファンであるわたしにはそう見えていた。デーモン閣下みたいな衣装の∞SAKAおばちゃんROCKも初めて裏地がついた関風ファイティングも永谷園のズッコケ男道も、どのエイトも一生懸命で楽しそうだった。正面きって堂々とイロモノの関ジャニ∞をまっとうしていた。かっこよかった。そういう「かっこいい」があることを教えてくれたのはエイトだった。

 

そしてそんなことを思えるのは、ほかでもない今があるからこそなんだろうな、とも思う。あの頃とは一味違う、有無を言わせない唯一無二の存在感がある今だからこそ、あの頃をも愛おしく思おうとできるのかもしれない。過去を重く語っても、それもエイトの味になるというか。状況が打開された今だからこそ、それを味わうことにためらいがないというか。

 

あの頃のエイトがもがいていたのは、果てしない暗闇から抜け出すために与えられた終わりの見えない呪いのような日々だったのかもしれない。苦しかったかな。くやしかったかな。ただそれは、わたしにとっては永遠に続いてほしいと願ってやまない楽しくて幸せな祭りの日々だった。今も昔もそれは変わらない。関ジャニ∞のお祭り囃子は、今も昔も絶えることなく響いている。

 

 

 

もうちょっとすっきり言いたいことだけ書けれんのかなわたしは。今も昔も関ジャニ∞は最高で最強だ!!!今までありがとう!!!!!これからもよろしく!!!!!!!!大好き♡♡♡♡♡♡♡♡×∞