僕の心の声を聞かせてあげる

ひとりよがりが過ぎるわたしは自担のことは深読みしてでも心配したがる、心配という感情を掘り下げることで自担をおのれの中に深く根付かせて、それによって快感をおぼえるような、非常に一人遊びが得意なタイプのおたくなのですが、去年はその遊びがほとんど必要にならなかったなぁ、この先はきっと、もっといらなくなるんだろうなぁというのが、この一年を振り返ってみての感想です。

 

以前のわたしは、誰かの言う「村上くんなら大丈夫」や「ヒナならやれる」という無責任な期待に憤ることが多かった。そうやって期待していれば本当に「大丈夫」になるのは村上さんの努力のたまものにほかならないのに、その苦労も知らないで、よくそんな勝手なことが言えるものだと思っていた。だけど、それはまったくの間違いだった。村上さんなら何をどう課されても、求められる答えが出せるし、結果を出すための努力を確実にこなすことができる。メンバーはそれを知っているからこそ、村上さんに期待をするのだと。それは決して無責任なことではなくて、これまでの村上さんの努力が評価されてのことであり、その努力の才能を信頼しているからこそ「大丈夫」だと言うのだと。「どうにかなるだろう」ではなく、その結果に期待できる。実際に、村上さんの努力の成果を実感することや、がんばりの結果を見ることが、去年は特に多かった。結果が確実についてきていることを感じて、ただ努力家なだけでなく、その結果として、確実に成果を出している村上さんのことを、いろんな人が認めてくれているのだということがわかった。それはグループのことであったり、テレビのことであったり、新しくいただくお仕事のことであったり、そして、音楽のことだったり。

 

楽しくないから気が乗らないとか、興味がないからおざなりになるとか、そういう気分のむらみたいなものが村上さんにはほとんどない。得手不得手はあれど、その「不得手」を決して言い訳にすることなく、それが自分に課せられた仕事である以上は、必ずきちんと正確に応える。それが「わかりにくさ」を助長しているとも思うけど、「村上さんの本当にやりたいことがわからない」なんて嘆くことはしょうもないことだと、今ではへそで茶を沸かしながら笑い飛ばせる。「どんなことでもがんばれる」「どんなことにも努力を惜しまない」人に、「いまあなたががんばってることや努力してることは、あなたが本当にこころの底からやりたいことなの?」と尋ねるなんて、本当に、本当にくだらない。失礼にも程があることだったんだと、今ではわかる。遅くなったけど、ようやくそう思えるようになった。「楽しくなくても好きじゃなくてもがんばれるんだからそれでいい」というあきらめとは違う。「どんなことでもいつでもがんばれる」ことをひたすらに尊重して、認めたい。「村上信五」という道を、まっすぐ見つめて応援したい。

 

あなたのがんばること、がんばる姿を、なによりも信じています。
あなたをみつけたこと、あなたのことがこんなにも大好きでたまらないこと。すべてがわたしの誇りです。
今年もどうぞよろしくお願いします。いつもありがとう。