ドリフェス経由元気が出るLIVEゆき

「去年ひとりで出たすばるの功績あってのもの」という。「すばるくんが連れてきてくれた」という。
「こんなところまで連れてきてしまった」、わたしの目にはそう映った。ドリームフェスティバル2015、最終日のこと。

 

わたしは村上さんがバンド活動のことを好きでも嫌いでもどちらでもなくても仕事だからちゃんとやる、程度のものにしているとしても、理由や動機がどうであれ、そうとなれば村上さんは本当に「ちゃんと」やる人だから、それでいいと思っていた。どの程度でもいいと思っていた。程度なんてどうでもいいと思っていた。だけどそんなバンド活動に対するグループの方向が、雰囲気が、強力な士気が、バンド活動に対する村上さんのフラットなスタンスをゆるさないようで、足並みがずれているようで。大切にしているものや捉え方、意識の向け方が違う気がして、それがずっと違和感で、うまく納得できなかった。それなのに、コンサートに行くまではその状態でずっと悶々としているのに、いざコンサートでの「関ジャニ∞」を目の当たりにしてしまうと、そんな葛藤が一気に覆されてしまう。正確には、納得できていないのに、突き動かされる。その暴力的な強制力に、くやしいけど抗えない。こんなにもあっけなくひっくり返されるような葛藤じゃなかったはずなのに、いとも簡単に形を変えて愛してしまう。

 

わたしはきっと、関ジャニ∞を目の前にしていないと、ファンであることを続けていけない。関ジャニ∞がコンサートで見せてくれる暴力のような衝撃がないと、わたしは関ジャニ∞と一緒には生きていけない。だからわたしはコンサートに行く。自分ひとりで考えてるだけじゃ納得できないことばかりだから、からだのすみずみまで関ジャニ∞を叩き込むために、コンサートに行く。村上さんのことが好きだ。言葉にならないくらい、好きで好きでたまらない。関ジャニ∞よりも好きだと思うときだってある。だけど関ジャニ∞に引っ張ってもらっていないと、わたしは前を向いて村上さんのことが好きだということができない。愛が憎悪を引き寄せるのに、憎悪に負けない愛の強さも同時にこぼれ落ちる。くやしいけれど観念するしかない矛盾。認めてしまった方が早い。

 

関ジャニ∞は今、どんな夢を見ているんだろう。それは誰の夢なんだろう。誰の夢なら熱いんだろう。誰の夢なら叶ってもいいんだろう。誰の夢が今まさに、叶おうとしているところなんだろう。村上さん自身の叶えたい夢が見えないのはいつものことで、それは教えてくれなくていいし見せてくれなくたっていい。だけど、かといってグループに夢を見ているようにも見えない。そんな状態で叶った「夢」を前にして、村上さんはどんな顔をするだろう。どんな言葉で祝福するだろう。そしてもしも、メンバーの100%の意が関ジャニ∞に反映されないなら。関ジャニ∞のゆく道を決めるのも、当たる光の質を決めるのも、どちらも「関ジャニ∞」ではないのなら。人質なのは村上さんだけでなく、関ジャニ∞そのものなのだとしたら・・・だとしたら、だとしても。これから叶う夢にもきっとあふれるような希望があり、そこには関ジャニ∞の笑顔がある。関ジャニ∞の熱がある。それだけで今は、きっとじゅうぶん。

 

それでも、出番終わりのバックステージで「楽しかった!」と言う村上さんの笑顔だって、きっと本物だったと信じたい。だってあんなにいい笑顔を見られることなんてそうないもの。楽しいことが大好きで、どんなことだって楽しんでやろうとする村上さんの「楽しいこと」の中に、関ジャニ∞でのバンド活動が入っていてほしい。好きじゃなくても楽しんでほしい。あんな笑顔になれるんだから、もうきっとずっと「楽しい」ことになっちゃってるって信じてる。初の音楽フェスのアウェー感を盛り上げるための「関ジャニ∞のファンは一部」というふれこみには、多少の美談も含まれてはいるけど、それならそれでいい。関ジャニ∞初の晴れ舞台を盛り上げるために、本当は、全国各地からあなたたちのファンが集まっていたことは、一生知らないままでいい。その緊張感があの空間を、一体感を、笑顔を生んだのだろうから。

 

 

あなたたちが夢という言葉に詰め込む希望を信じて。
会いたかった。楽しみにしています。今年もどうぞよろしくね。