「関ジャニ∞ LIVE TOUR 関ジャニズム」を終えて

「いつまでかわいそうぶってんだ」と思われてもいい。「自分だけが被害者だと思うな」と言われてもいい。先のことはわからないけど、そうであってほしいという願いを込めて、わたしは今回のことを「後にも先にもこんなに悲しいことはなかった」と表現する。かわいそうだとでも思わなければ、こんなにもつらいことは、きっとたえられなかった。

 

出会いの札幌は最悪だった。東京、名古屋、福岡でやっぱりこのグループが好きだと思って、大阪・・・特にオーラスの「ビジネス」には多少がっかりした。札幌から東京までの1ヶ月の間に怒りや胸くその悪さは案外これというきっかけもなく鎮火した。それでも意地でも、好きにはならなかった。なりたくなかった。これを好きだということは、自分の好きな人を置いてきぼりにすることなのだと思えてならず、そんなことはできなかった。ゆるすことで「結局その程度の出来事」だなんて思われたくなかった。当事者でない誰にも、なにも、勝手に判断されたくなかったし、理解されたくもなかった。できるはずがないと思っていた。

 

これまで、こんなにもグループに不信感を抱いたことはなかった。どちらかといえば、関ジャニ∞ありきで村上さんのことが好きだったし、関ジャニ∞にいる村上さんが好きだった。今までにもいろんなことがあって、憤ったり、いらだったりしたことはあったけど、ひとつひとつの「扱い」に対して、こんなにも過敏になったことはなかった。どうやらその理由は、10周年の記念すべき年のツアーで「こんなこと」をされて、というわけではなかったようで、今になって考えてみれば、その年の春にいただいたサッカーワールドカップのキャスターという大きなお仕事と、それにともなうタイアップ曲「RAGE」の存在、その「扱い」への不満が、なによりのきっかけだったように思う。いま思えば理にかなっていないことだと思うけど、それに気付かず、怒りの矛先をグループへ向けてしまったことが、根底にある原因なのだと思う。自分にとってこのお仕事と「RAGE」はとてつもなく大きな存在だった。こんなに嬉しいことは今までになかった。誇らしかった。誰彼かまわず自慢したかった。そんな多幸感に満ちあふれた出来事をもたらした村上さんを、わたしはあらためて、いや今までにないくらい見直した。それなのに、こんなにも大きなことを成し遂げたというのに、なお変わらないものがあるというのは、こんなにも名誉ある出来事をもってしてもなにひとつとしてグループに影響を及ぼすことがなかったことが、ただただ絶望的だった。自分の思い入れとのギャップへの憤りが主だったのだと思う。勝手な話だけど、結局それに終始する。今までにも経験してきていたはずなのに、今回に関してはあまりにも思い入れが大きすぎて、ギャップもひろがって、冷静になるよりゆるせなかった。ゆるしたら負けだと思っていた。今でも思っている。負けたくないからゆるせなくて、今もまだ、冷静にはなれない。

 

まわりが見えなくなってしまった自分はなんて暴力的なのだろうと思う。絶望は、「正当に評価されてほしい」というわがままが生み出したことと、嫌いになりたくなかったものを嫌いになってしまったことにつきる。こんなことをゆるすグループを嫌いになったし、そんなグループをゆるせなかった。正論で言い返されるのがこわくて時々は先手を打つように「本人にも非がある」と前置きをしたこともあった。本当は、そんなことはただの一度も思ったことがない。村上さんが悪いわけがないと、本当にそう思っていたし、それだけが希望だった。天上からつるされたひとすじの蜘蛛の糸だった。神様を信じられなくなることがこわかった。信じたこともない神様を引っ張り出してでも、脚色を重ねた妄想で身を滅ぼすことになったとしても、縋りついていたかった。しがみつくしかなかった。

 

「僕以外のメンバーを見てください」この言葉に対してがっかりしたり、本人を責めたりすることは、わたしにはできない。本人がそう言うのも無理はない、本当にそんなツアーだった。今でもゆるしていない。今年のイフオアが「ゆるせない」ことに拍車をかけたことも自覚しているのだけど、それはまた別の機会に。

 

わたしにはこのツアーをまっとうに評価することはできない。このツアーを通してグループに感じたつまらなさが言いがかりに近い悪態のひとつでないかどうかなんて、わたしにはもう判断できない。こんなものは早く終わらせてしまおう。「関ジャニズム」に縛られるのは、もうやめよう。どうかやめられますように。