「ありがとう。」

「自分で叶えられるかどうかもわからないような、そんなたいそれた夢なんてみたって仕方ない」と言う村上さんと違って、わたしは、自分の力では叶えることのできない夢しかみたことがない。これまで自分が達成してきたことは、なにひとつとして夢なんかじゃなかった。自分にとっての妥当で、有り得る目標に過ぎなかった。それをつまらないとは思わないし、極端ではあるけど、自分の功績で人生を彩る必要はないと思っている。誰かの夢がわたしをつくる。こんな自分のためなんかじゃ、ばからしくてがんばれない。素敵な誰かを応援し、素敵な誰かの一端を自分が預かっているという使命感に酔って、誰かのためにけずられるのが好きだ。そういう自己犠牲的な選択にむなしくなるどころか達成感をおぼえるような、痛々しいにもほどがあるファンだ。しかしこのようなことをドヤ顔で語っているようではいけない。こういうひとりよがりで、自分で責任をとれないものに荷重をかけてあまつさえ怒りすらぶつけるというのは、深刻なルール違反だ。いちおう、そうも思って自分を律したいと考えてはいる。だけど、わたしごときがルール違反をおかしたって、わたしにとっての素敵な人の人生は1秒だって縛れない。だから安心して、勝手なことを言えるのだとも思う。

 

なので「勝手」なことを言う。

 

わたしは村上さんのファンなので、村上さんには誰よりも愛されていてほしいと思っているし、誰もが尊重し、慈しみ、ねぎらい、優しくあまい対応をするべきだと思っている。無謀だけど、わりと本気で思っている。ほかのメンバーと比べて他担からのお褒めの言葉が少ないことを、自分がほかのメンバーに対してそうであることはぽーんと棚に放りあげながら、そんなことを、わたしはかなり気にしている。それだけならまだしも、こちらの気も知らないで振りかざされる「村上くんだから」というOKラインの粗雑な暴力性は、わたしにとってはまったくもってオッケーではない。本人は気にしていないとか、受け入れているとか、良しとしているとかいう、そうであるかもしれない寛容な「本人」をもってしても、わたしにはなかなか受け入れられない。

 

話はそれるが、ドラマや映画といった演技の仕事が何においても偉い、というか、選ばれることは優れていることで、そういったものから声がかからないことはバカにされて然るべきこと、という「この仕事がすごい(または偉い)ランキング」には疑問しかない。その部分でバカにされて、見下されてきた人は、いざそういう仕事がきたときにだって、あの手この手でバカにされる。どんな役でも「優れたものの真似」として笑われる。何をしてもそんな扱いを受けるなら、そんなことはしなくていい。そんなものはなくていい。

 

グループを愛さないから、距離を詰めようとしないから、心を開こうとしないから、この現状があるのだと言われれば、それはその通りで否定はできない。そうしてこなかったことが先か、そうなるきっかけに値する愛おしさを欠いたのが先か。それはどちらとも言えない。答えは出なくてもいいし、なんなら出てほしくない。好きなものを責めるきっかけなんて、少ないほうがいいに決まってる。

 

わたしのような「グループに居場所をなくした」ファンにとって、ブラマヨことブラックマヨネーズのおふたりと村上さんが、内容的には色恋の下衆な話が主とはいえ、レギュラー番組で共演し、ああでもないこうでもないとお互いの話をする機会があることは、どんなに感謝をつくしてもつくしきれないほどありがたいことだった。

 

村マヨが全国放送になるにあたり、番組に足りないと思うものとして、村上さんは「華がない」ことをあげた。そんな村上さんにブラマヨのふたりは口を揃えて「華あるやん!」と、ありがたいことに村上さんのことを指してくれた。だけど当の村上さんはといえばお決まりの「僕なんか、」と自分を卑下する言葉を口にした。わたしは、そんな村上さんを見る吉田さんの目に「村上くんはこういう返しをすることに慣れてる子なんやな」という憐れみが浮かんでいるように感じてしまった。そして本当に勝手ながら、吉田さんは「村上くんがずっとこんな感じなら、ファンの子は大変やろうな」と思ってくれるのではないかという期待をしてしまった。

 

アイドルであることそのものをこき下ろされ、あれもこれも頭から否定され、自らもそんなことを言うのだから「これも自分の道」だと、本人は納得してやっているのだと思われても仕方ないし、そういう部分もたしかにあるのだろうけど、その物分かりの良さや、あったかどうかもわからなくされた葛藤の行方の不透明さに、村上さんのことが好きで好きでたまらないファンである自分はばっさりと断ち切られ、これこそが地獄なのでは、と思うような悲しみの暗闇へ突き落とされた。かわいそうなだけならまだしも、かわいそうなただなかで前を向いている。その道についていくのが嫌で、それでも本人を否定することはできない。なんで村上さんまで地獄づくりに協力しちゃうのかな。そんなことを嘆くことしかできない。かと思えば「心の痛点なくなってきた」と弱音みたいなことを言ってみたり、吉田さんが理解してくれる自分のことを「なかなか人にわかってもらえない」ことだと嘆き、理解されていると感じれば、喜ぶ。隙があるんだかないんだか。めんどくさいひと。でも好きなひと。勝手なのはお互い様で、その点をあらそう気などは特にない。

 

吉田さんは横ちゃんに似ている。めんどくさいところ、あれこれ考えすぎるところ、相手に潜む奥を見ることができるところ。だけど吉田さんと違って横ちゃんは、村上さんとの間に関ジャニ∞というグループの繋がりがあるために、村上さんに対して無責任になりきれない。こちらが捨て去ってほしいと思っているあやういバランスや複雑な関係性を通さなければ、そのままのふたりではきっと関ジャニ∞には帰れない。吉田さんのような、村上さん自身がありがたいと思うような理解者が関ジャニ∞にいてくれればと願うけど、それは叶わない。きっと叶ってはいけない。そうであるからなおのこと、吉田さんとの継続的な共演の機会は、わたしのようなファンにとっては涙が出るほどありがたい。小杉さんは小杉さんで、仲の良いお兄ちゃんのように接してくれて、村上さんのことをかわいがってくれている。願望込みだけど、ふたりともきっと村上さんのことを気に入ってくれていると思う。村上さんのことを好きだと、おもしろいと思う点で、また村上さんからふたりへの接し方を見ていても、小杉さんはまるちゃんのようだし、吉田さんは、やっぱり横ちゃんだと思う。グループの外ではあるけれど、本当に、本当にありがたい存在で、どれだけ感謝をしてもしきれない。

 

わかりあうことと思いやることは違うということを、なるべく意識していたい。
そういう期待は夢だと悟って、できるだけスマートにこの先の道を歩めるようになりたい次第です。