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あんたのどれいのままでいい

関ジャニ∞や村上信五さんにあれとかこれとかうるさくいうブログという名のツイッターの延長です(Twitter:443108)

「ヨコヒナ」という呪い

今じゃもう大して興味がないのでは?慣れてしまってないがしろになってしまっているのでは?そう思うことがある。今までがそうだったから、そういう扱いの番組もあるから、そういう関係として成り立っていて、それをお互いに理解し合っているから、何も言われないから、だからそうするという、そうされた結果に、以前であればここまで突っかかったり、受け入れられないということはなかった。今の、なにもかもに通じかねない拒絶感や排他的な感情は、村上さんへの当たりの強弱によって変わるものではないことにはうすうす気付いていた。これはゆるせる、これはゆるせない、でなく一切の関わりや言動を不愉快だと感じ、いらだちを覚えるのは、そもそもの変化が受け入れられないせいなのだと思う。グループを遠ざけて、よごれることから逃げて、きれいなものに手を伸ばして。演じることをやめて、がんばっていることを、見てもらいたいきれいな部分をあらわにし始めたこと。これまでの自分をなかったことにしてしまいそうな、今のためにあれもこれも帳消し、とでも言わんばかりの「これまでの後悔」の回収。

 

村上さんのことを天才だと思ったことはないし、天才であってほしいと思ったこともないから、それがうらやましいというわけではない。それなのに、ちやほやされているといらいらしてしまうのは、がんばりを見せられる機会を作ってもらえているから、というのもある。それはうらやましいし、くやしい。第三者の目に触れるようになってからがんばり始めたものは、注目もされるし応援もされる。今になってようやく人並みにがんばり始めたようなことを、ここにきて大々的に見せる機会があったというだけで歓声が上がるのは、個人的にはおもしろくない。がんばっているところを見せられるというのも才能だとは思うけど、その裏で、そうじゃない人のがんばりが当たり前のものとして風化しているのは、そうじゃない人、を好きなわたしとしては、くやしい。言葉にしなきゃがんばってられない、見せ場がなくちゃやってられない、なんて甘い。「美しい」ってなんだろうね、と思ったり。

 

誰より強力な影響力を持っていて、それを行使しておいて、変わることを許さないでいて、自分はいいように変わっちゃうんだからずるい。まったくいい意味でなく、心底忌み嫌った意味で、ずるい。戯れに呪いをかけたまま、その呪いを解くことに興味はなく、その鍵をどこかへ捨てられてしまったよう。これからもずっと高みの見物で、思いついたことを片っ端からやらされるのだとしたらぞっとする。自分が参加する気も、それなりの対価を請け負う気もないくせに。かっこわるいことから逃げておいて、でも「誰かには」やってもらわないと、なんて。策にしか興味のない策士なんて、愛がない。そんなことを言いたくなる。今までだって、愛なんかじゃなかったというのに。

 

今までなら、こんなことは思わなかった。仲の良い友達じゃなくてもよかった。プライベートのことを知っているとか、個人仕事への興味のあるなしとか、好きとか嫌いとか。そんなことはどうでもよかった。ヨコヒナであればよかった。仕事をしているお互いにしか興味がないならそれでいい。興味があるふりをして、あれこれ気になる「ふり」をするも「仕事」のひとつであるなら、それでよかった。ヨコヒナがヨコヒナであるなら、そういう仕事と関係を続けてくれるなら、なんでもよかった。本当は全然対等じゃないのもわかってた。横ちゃんが待っててくれたわけじゃないけど、それでも「ヨコヒナ」は対等だった。それが演技でもポーズでも、うそでも足踏みでも、なんでもよかった。横ちゃんと村上さんにヨコヒナという繋がりがあるならそれでよかった。本当に、それだけでよかったのに。

 

もう「ヨコヒナ」はいない。隠れているのか、死んでしまったのか。どちらにせよ、もういない。逃げてしまったのかもしれないし、いらなくなってしまったのかもしれない。変化の結果として、入る隙がなくなって、邪魔者になってしまったのかもしれない。今までふたりで背負っていた罪を置いて、ヨコヒナは横山裕村上信五になってしまった。共同戦線も消えた。罪と言ったが、もうそんなものだってとっくになくなっていたのかもしれない。あたりかまわず噛み付く必要も、戦う敵もいない。それでもそれなら仕方ない、とは言えない。お互いの首を締め合って、苦しめ合って、傷だらけになりながらグループを守って、その役目をふたりで担い続けてほしかった。みんながみんな弱くないのも、それぞれが今はもう頼りになることもわかってる。だけどその矜持はヨコヒナのものであってほしかった。その役割に依存して、ヨコヒナとして、たしかに繋がっていてほしかった。

 

ヨコヒナはもういない。消えてしまったし、追いかけなかった。わたしにはそれがさみしくて、歯がゆかった。ヨコヒナじゃないのに。もう「ヨコヒナ」をする気もないくせに・・・なにかにつけてそう思ってしまって、なにもかもがヨコヒナの喪失につながっているような気がして、そのうちふたりにまつわることは、ほとんどのことが受け入れられなくなってしまった。

 

もう戻ってこないなら、帰ってくる予定がないなら、どうにかして納得しないとなぁと思っているところです。いやぁ、まいったなぁ。もう。

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