出せない手紙

村上さんを自信へ導くものがあるとすれば、それは関ジャニ∞であって、尊敬すべき才能のかたまり、輝きの光、どうしようもないけどどうしようもなく愛しく素晴らしいメンバーで構成されたグループに所属している自分・・・という現実がひとまずは揺るぎない事実である、ということだと思うのです。それはいつでも自分自身からわき上がるものではないようで、ひとりになると途端に潰えるそれを回収できるいつか・・・グループに戻った時のために、振り切って思い切って覚悟をきめて飛び込んでいる・・・それはこの先も村上さんが関ジャニ∞に所属するための試練であり、課題でもある。グループがあるから安心して何でもできる、というよりは、グループがあるから下手なことはできない。その縛りこそが、ひとりの時の緊張感を増し、グループに戻った時の役割の遂行に繋がっているのではないかと思っているのです。

村上さんが1年間グループの中で得た自信や、育んでいたかもしれない愛情を、毎年イフオアという存在がリセットしてしまっているのではないかと、わたしは思っています。イフオアができる自分、という経験値が、村上さんにとって糧となっているようには見えず、毎年この時期が来ると、わたしは村上さんがかわいそうでたまらなくなる。何に繋がるとも見えない模索を重ねる村上さんを今年もまた見つめるのだと思うと、気が重くなる。楽しみだけど、それだけで何もかもを覆えるわけではない。進みの遅い足踏みで、春を待つ息苦しさ。果てしない冬に苦しめられる孤独。出口の遠い、苦しい迷路。息継ぎすらもままならない。千秋楽を迎えれば出口、というわけではない。ストレスのはけ口、というのも信用できない。複雑な関係。静かに首を絞め合うもの。

村上さんが今までに叶えてきたことの中には、わたしがそれを村上さんの夢だと認識していなかったものがたくさんありました。そういう人なのです。言わなくてもこつこつと、ひとつずつ道を繋げる力を持っている人だったし、誰かに見てもらわなくたって、自分で自分を鼓舞して、律して、一生懸命になれる人。ソロコンでのメンバーへあてた手紙で、村上さんが教えてくれたことを、最近は特に思い出します。8年前の、ちょうどこの時期のことです。


僕はよく「何を考えているのかわからない」と言われます。
話すことが苦手なわけではないけれど、あまり自分の考えを話したりする方ではありません。
だからわかりにくいと思われているのかもしれないけど、それなら行動で示したい。前に進みたい。
グループという帰ってくる場所があるから。受け入れてくれる場所があるから。
いつもありがとう。


その通りだと思った。夢という言葉で語ったり、教えてくれたりすることはあまりないけれど、叶ったり、手に入れたりした後に、ふと振り返れば、ああ、これ、やりたかったんだな、って。今回も教えてくれなかったけど、きっとこれが夢だったんだなって。きっとまたひとりで、たくさんたくさん頑張ってきたんだろうなって。つらいとも、苦しいとも、何にも教えてくれないまま、今回もまた、きれいに作り上げられた結果だけを届けてくれたんだなって。そのすべてが「出せない手紙」なのだと思う。きっとこの先も、ずっと。

14日の涙を見て、わたしは今まで村上さんにいわれのない理想を押し付けて、期待と呼ぶには現実味の薄い願望ばかりを抱いてきたけど、もしかするとそのすべてが見当違い、というわけではなかったのかもしれないと思いました。というか、そう思ってしまった。何ができるようになったって、どうなったって自信がなくて、誰かをうらやむこともあるけれど、その誰かを妬むことはしなかった。人のせいにはしなかった。努力もせずに口先だけで何かをほしがったりはしなかったし、その「ほしいもの」が誰かのせいで手に入らない、というわけではないこともわかっていた。すべては自分次第だとわかっているから、だから何も言わなかった。何も言わず、ただただ努力を積み重ねた。自分を見つめて、自分自身と、孤独に戦って。

村上さんのほしいものは、わたしがあげられるものではない。わたしは、村上さんのヒーローにはなれない。そもそもヒーローという存在に期待すらしていなさそうな村上さんが、苦しくて、つらくて、何かに縋りたいと思えた時に、手を伸ばしたところにあるのが「関ジャニ∞」であることを願っています。ひとりで戦い続ける村上さんが、前しか向きたくない村上さんが、それでも後ろを振り返ってしまった時に、いつもそこにいてくれるのが関ジャニ∞のメンバーでありますように。わたしにはそう願うことしかできないし、その姿を見ていることしかできないけれど、それでも願い続けます。


誰も知らないその夢が、いつかきっと叶いますように。