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あんたのどれいのままでいい

関ジャニ∞や村上信五さんにあれとかこれとかうるさくいうブログという名のツイッターの延長です(Twitter:443108)

「関ジャニ∞ LIVE TOUR 関ジャニズム」初日を迎える前に

ツアーとしてのJUKE BOXがセトリのあれそれをねじ伏せて有無を言わさぬ圧巻で圧倒的な「関ジャニ∞」だったので、わたしはJUKE BOXを成し遂げた関ジャニ∞が敢行する10周年のコンサートはどうなるんだろう、これ以上なんてあるの?とちょっと心配というか・・・関ジャニ∞にとってJUKE BOXという経験がプレッシャーになってはいないだろうかと、そんな杞憂をしていたのです。というか、そうであってほしいという願望がありました。関ジャニ∞にとってのJUKE BOXもまた特別な存在であってほしいという願望。わたしがJUKE BOXツアーで感じた容赦なく放出される関ジャニ∞の発する熱や関ジャニ∞というグループの主張する存在感に、「JUKE BOXを経た関ジャニ∞」によって、当事者である関ジャニ∞のメンバーでさえも衝撃を受けたのではないかと。自分たちの持つ熱や力は自分たちの想像をはるかに越えるものになっていることを思い知る、自信に繋がる経験だったんじゃないかと。少なくともわたしにとってはJUKE BOXは特別だし、それはメンバーにとってもそうであるように感じたのです。

なのでどういう形であれ、JUKE BOXの次に関ジャニ∞が「コンサート」というスタイルでファンの前に現れる時。その緊張感はいかほどかと、10周年の関ジャニ∞はJUKE BOXの関ジャニ∞を越えることができるのかと。関ジャニ∞の会やイベントに向けた楽曲アンケートのこともあり、楽しみ半分不安半分だったんですけど。

そんなこんなで迎えた十祭。十祭は、何と言っていいかわからないけど、越えるとか劣るとか、そういう次元じゃなかった。JUKE BOXを越えてはいない。だけど並んでいるというには評価に足らず、もちろん劣りもしていない。不思議な感覚だった。JUKE BOXを経た関ジャニ∞がそのまま、蓄えた熱を腹に抱えながら、いい意味でわかりやすく、すべてのファンのために、10周年を祝うお祭りを盛り上げていた。そこには緊張感も気負いもなかった。そんなものは不要で、本当に杞憂だったんだと思い知らされた。最後の挨拶のこともあって明るい未来や希望が見える、というものこそなかったけど、これからの関ジャニ∞の道がどんなものになっても続いていくことは確信できた。10周年を彩るイベントとしては素晴らしいものだったと思う。余談ですが、十祭でRAGEの披露がなかったことも、個人的にはよかった。音源化もなくW杯以降はぱったり音沙汰もなくて、10周年を盛り上げるというスタンスのイベントで使われるとしたら唐突すぎるなぁと思っていたので。あとはまぁ、いろんなことをする「イベント」と聞いていたので・・・初舞台はどーんとドームツアーで!と思っていたので・・・もにょもにょ。

そんな十祭もなにもかも、すべては8月25日以前の話。そんなことは本当に杞憂だったなぁと今では思う。ようやく気付いたことは、新レーベルへの移籍後の、個人的に気に入らないことやつまらないと思っていることの大部分を、どうやらわたしは新レーベルのせいにしたかったようなのですが、それが大間違いだったということ。新レーベルだから、テイチクたんじゃないから、という制限は今のところはなさそうで、不安も不満もすべて新レーベルによるものでなくて関ジャニ∞そのものに対する感情だったということ。ていのいい八つ当たりの対象にしてしまって、新レーベルさんには申し訳なかったです。インフィニティレコード。まだ愛せないけど、悪かったなぁとは思う。

自主性を求められる、追求することを許される新レーベル。自分たちで決めたあれができる、こんなこともできる。いかにも未来は明るく夢は広がるように語られる言葉はきれいなものばかりでくらくらするくらいだし、わたしのようなものはいくらでも陶酔できるんだけど、それなら前も向けるというか、向かなきゃいけないなぁと思ってたんですけど。でも、作品という形で現実も見せられてしまった。アルバムを聴く前にその作品に対するあれこれを目にしてしまったことが一番堪えた。先入観が先走りすぎて、そこまで言うことないことも言わなきゃおさまりがつかなかったし、好きになってやるもんか、とむきになった。それはまぁ、今でもちょっとそうなんだけど。

陽気な関西人を演じる関ジャニ∞が、イメージ通り、明るく楽しくおもしろおかしいことをする中にある、ファンにしか感じ得ない悲哀が好きだった。切なくて愛おしかった。本当のこと、わかってるよ。だから安心して「演じて」おいで。そうやって「外」へ出るメンバーを見ていた。本当は、本当のことなんて、なにひとつだってわかっていないのに。

ファンのためのツアー、そのツアーに向けたアルバムである関ジャニズムが、あまりに関ジャニ∞のパブリックイメージをなぞりすぎていて、おもしろくなかった。そんな作品を絶賛するメンバーにもがっかりしたし、それによって作られるツアーにも期待できなくなってた。ほかにもいろいろ。でもどんなことをすれば関ジャニ∞がファンのためにあることを実感できるかはわからない。わからないから見せてほしい。パブリックイメージをまっすぐなぞる関ジャニ∞が好きだけど、それをファンが求めているものだと思われたくはない。好き、でも勘違いしないで。という、矛盾の繰り返しで、もはや矛も盾も機能していない。ぐしゃぐしゃです。関ジャニ∞が好きなだけなのに、それだけじゃ消化できないことがあまりにも多すぎる。

わかりやすくなくていい。わかりにくくても、そのわかりにくいことをわかろうとするファンだけのものでいてほしい。わがままが言えるならそうであってくれれば、ファンだけのものであってくれればどんなにいいかと思うけど、ファンだけのものになるためにもある程度の外部の承認は必要だよなぁと思ったり、認められることは自由がなくなることかもしれないと期待だけで済ませられなかったり。だけどやっぱり、ここまでこれたなら。夢という言葉に詰められるものがまだまだあるなら、欲張りなその重みを信じたい。決して軽んじることなく、疑わず、まっすぐ信じたい。できないことのほうが多いけど、そう思う気持ちも本当はある。

結局何が言いたいのかも、言いたいことがすべて言えたのかもわからないけど、ここに残しておきます。
関ジャニ∞の10周年、11年目が始まる。膠着状態は続いてる。真正面から、先制して、ぶった切ってほしい。圧倒してほしい。こちとら壊れ物じゃございません。振り回して、揺さぶって、めちゃくちゃにしてほしい。



 会いたかった。楽しみにしてます。

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